私が最初に光クラブ事件を知ったのは、高木彬光の小説『白昼の死角』を読んだときでした。小説自体は法律と金融の高度な知識を駆使してあり、当時高校生だった私にはよく理解できませんでしたが、山崎晃嗣については人間的に大変興味を持ちました。光クラブ事件を知るため以下の参考書籍を読んで、山崎の生き様を私なりに振り返ってみたいと思います。
@ 『私は偽悪者』山崎晃嗣著 牧野出版
A 『眞説 光クラブ事件』保坂正康著 角川文庫
B 『青の時代』三島由紀夫 新潮文庫
C 『白昼の死角』高木彬光 角川文庫
【光クラブ事件概要】
東大法学部で若槻礼次郎以来の秀才とうたわれた山崎晃嗣は昭和23年10月東京中野で光クラブという高利貸しの会社をはじめる。当時政府は極端なインフレ抑制策を実施しており、市場は金詰りだったことを背景に光クラブは急成長をとげる。山崎は東大法学部の学生であるということを利用して投資家をひきつけ、新聞・電車に派手な広告を出して暴利をむさぼっていた。ところが昭和24年7月4日山崎は物価統制令違反の容疑で検挙され、1ヶ月の拘留のあと処分保留のまま釈放されるが、会社は山崎のワンマン経営であり、かつ帳簿をすべて当局に押収されたため、その間光クラブの業務は完全にストップし、投資家たちが取り付け騒ぎを起こしていた。山崎は9月に債権者会議を開き、借入総額3,600万円(今の7億5千万円にあたる)の一割360万円を11月25日に返済する、と約束。そして返済資金を調達するため、敢然と株のカラ売りに出るが、これも失敗。11月24日会社の自室で青酸カリを飲み、執拗に遺書を書き続けながら絶命する。
プロローグを書いただけでかなり長くなったので、私は山崎の生き方にのみ焦点を当ててみたいと思います。この事件を語る場合、高利貸しの手口・乱脈をきわめた女性関係などいろんな切り口があるのでテーマを絞る必要があるのです。
【山崎と戦争】
山崎が一高から東大法学部に進学したのは昭和18年の秋です。おそらく希望と野心で胸をふくらませて大学の門をくぐったことでしょうが、時は大戦末期で日本の敗色は濃厚。まもなく学徒出陣がはじまります。ここで山崎は人生の選択を行います。「このままでは間違いなく最前線に送られる。どうせ兵隊にとられるのなら一番楽なところがいい」こう考えた彼は東大の退学を決意し、陸軍経理学校へ入学しました。経理将校は通常、指令部や連隊・大隊の本部で勤務するため、実際に銃をもって第一線で戦うということはないからです。こう書いてしまうと山崎が死を恐れるただの卑怯者とうつってしまいますが、彼はこんな言葉を残しています。
「こんな馬鹿馬鹿しい戦争で死んでたまるか」
当時は「忠君愛国、一億玉砕」が国民の合言葉となり、軍部による厳しい思想統制がしかれていた時代です。政府や軍部のプロパガンダに惑わされず、冷静に時局を見つめ自己の将来を考えていた人がいたのか、と当時無知な高校生だった私は驚きました。その後『きけわだつみのこえ』を読み、全体主義国家日本の敗北と自由主義の勝利を確信し、祖国の現状を憂いながらも特攻隊員として米空母に体当たりしていった学徒兵たちがいることを知って、さらに心を打たれました。彼らはどんな心境で敵空母に向かっていったのか……彼らの尊い犠牲を無駄にしてはいけない、愛する祖国日本を偉大ならしめんため、二度と先の大戦のような過ちは犯してはいけない、我々は一切の戦争行為を放棄すべきだ、との思いを強くもちました。暴力では何も解決しないことを、学徒兵たちは命と引き換えに後世に伝えてくれたのです。
話が逸れましたが、『眞説 光クラブ事件』によると、学徒兵として経理将校を目指すものはほぼ全員が最前線に行きたくないがためにこの道を選んだのだそうです。もし私がこの時代に生きていて学徒動員されたとしたら「最前線に送ってくれ。特攻隊に入れてくれ」と言ったと思います。私はバカだし、なにより臆病者と思われることが死ぬことより嫌だからです。それがいいのか悪いのかわかりませんし、経理将校を目指す学徒兵が臆病者との謗りを受けるものなのかどうかもわかりませんが、ともあれ教育・教養は大切です。きちんとした教育を受け、自分でものを考えることができれば、狂気の時代を冷静に見つめて正しい方向に自分の歩を進めることができるからです。しかし経理将校を目指す学徒兵の意図を教育隊の職業軍人たちは当然承知しており、経理士官見習いは上官たちから特にひどいリンチをうけたようです。
このとき上官の理不尽なリンチによって山崎は一高から東大まで同級生だった親友を失います。当然部隊内では事実は隠蔽され親友は事故死したことにされ、その隠蔽工作に山崎も否応なく加担させられます。この経験により彼は人間に対する不信感を強めたようです。
その後山崎は旭川に駐屯する部隊で主計少尉として終戦を迎えましたが、上官たちの物資横領横流し事件に巻き込まれ、執行猶予付きの有罪判決を受けてしまいます。この件でさらに人間不信を強め、戦争で人が変わったという印象を周囲の人たちに与えました。
【オール優を目指す】
「荒涼としたレンガ・鉄くず等の赤茶けた残骸のみの東京を見て、私は新たに人生劇場に登場したことを自覚した」
昭和21年4月に山崎は東大に復学し、一つの野望を抱いて猛勉強を開始します。それはかつて東大生が誰も成し遂げたことのないオール優の成績をとることでした。しかし結果は20科目中優が17科目、あとの3科目は良でした。この猛勉強のおかげで山崎は、東大法学部で若槻礼次郎以来の秀才と言われるようになりますが、本人はこんな弁を残しています。
「教授の嗜好、気まぐれに相当依存さる優、良、可の区分に全生活をかけるのが馬鹿らしくなった」
現在でも大学入試まではほぼ客観性が守られていますが(100%だとは思いません)、大学入学以降学士、修士、博士と研究段階が進むに連れて、評価する側の主観が大きくものを言ってきます。評価する側がバカであれば、どれだけ素晴しい論文を書いても相手に響きません(大学で学業を疎かにしていた私が言うことではありませんが……)。
「私は大学の成績以外、いろんな方面における自己の能力の限界を客観的に示したくなった」
山崎はこう考えて高利貸しの世界に足を踏み入れます。
【山崎の人間らしさ】
山崎が高利貸しの世界に身を投じたのは、そもそも自分が騙されたことに起因します。ふらりと入った中野財務協会という会社で、彼はアメリカ向けの玩具輸出メーカーへの投資を勧められます。月2割という配当に目が眩んだ山崎は翌日家族に運用を頼まれていた10万円(今の310万円にあたる)をあっさりと中野財務協会に置いて帰りました。
「私は、手で働くことしか能のない下職たちのピンをはねて利殖できることと、担保がアメリカ向け商品であるという点が嬉しかった」
しかし中野財務協会の理事長は海千山千の詐欺師で結局10万円は戻ってこなかった。この顛末を省みた山崎は「(法律に絶対の自信がある)自分ならもっとスマートにできる」と考えて高利貸しをはじめることになります。
また光クラブが絶頂期にあるとき、肉体関係を結ぶことだけを目的に社長秘書を募集し松本啓子という女を雇います。ところがこの女は税務署に恋人をもつスパイであり、彼女を通じて光クラブの経営実態が税務署に筒抜けになり、結果山崎は逮捕され、破滅への道を転げ落ちていくのです。
軍隊時代の苦い経験から人間は信用できない、と考えていた一方で、彼が低能だとみなしていた人たちに何度も騙される。結局心の奥底では他人を信用していたのであり、こうした間抜けさが山崎を人間らしく見せ、この事件をおもしろくしているのです。もし山崎が何もかも如才なく立ち回れる人間だったら、話がすこぶる退屈なものになったでしょう。
【山崎の生い立ち】
彼の生家は千葉県木更津市。祖父、父はともに医者で、父親は京都帝大卒、叔父は東京帝大で法学博士と医学博士を取得、また『正四位勲二等瑞宝章』に叙せられ、山崎家は木更津の華麗なる一族でした。また父親は戦後民選初の木更津市長になっており、皮肉にも父親の市長在任中に晃嗣は光クラブ事件を起こしています。また彼の父親は自分の子どもたちに東大医学部の教授になる夢を託しており、
「(兄弟の中でも)一高、東大に入れそうな私は一番可愛がられた。ことに小さいときから身体が弱く、石塀の外に出て遊ぶことを知らぬ私は、母からこわれもののように大事に扱われた。幼い暴君であった」
と晃嗣は述懐しています。多額の仕送りを受け、生活に何の不自由もなかった彼が、学業に見切りをつけ高利貸しを始めたこと、それは自己に内在するはちきれんばかりの生命力が凡庸な生き方と現状維持を拒絶し、究極の野望の実現に向けて己を突き動かしたからでしょう。遺書の中にある彼の言葉からは、そんな人間的エネルギーを持て余していたことがわかります。
「私の合理主義を完うするため、24日までに300万円の現金を積んでみせるか、死を選ぶかの破目に、私自身を追いつめた。……せめて生命をかけた金儲けに生のスリルを経験したかった。50年の生命を、この1月にかける大バクチ、生命の完全燃焼の美を味わいたかったのだ」
私も彼と同じ性格的傾向をもっているため、この言葉のもつ意味は痛いほどわかります。
【三島由紀夫との関係】
三島は『青の時代』で光クラブ事件と山崎晃嗣を描いています。三島は東大法学部で山崎の一学年下におり、二人は同じ授業を受けることもあったらしいです。しかしこの二人に交友関係があったかどうかは誰にもわかりません。『眞説 光クラブ事件』で保坂は「二人に交友関係がなければ知りえない記述が『青の時代』の中にある」ことを根拠に、二人が交友関係あったと断定していますが、それでは話が出来過ぎだろうと私は思います。二人が友人であったなら確かにおもしろいと思いますが、どこにもそれを証明するものがない。同時期に存在したから交友関係があったと断言するのは、ドキュメンタリー作家らしからぬ保坂の勇み足だと私は思います。
【ライブドア事件との類似性】
ライブドア事件が世間の脚光を浴びているとき、堀江を山崎の再来のように書き立てた記事を見たことがありますが、笑止ですね。二人は別の時代に東大生であっただけで、堀江には山崎のような人間的面白みが全くない。さらに堀江は戦争に行ってない。東大卒の悪なんか世の中腐るほどいます。
また『私は偽悪者』では帯とあとがきで堀江と山崎の類似性を強調してますが、出版社が牧野出版という聞いたことのない小さなところなので、本を売るのに必死だったのでしょう。ライブドア事件がほとんど風化した2012年にこの帯を見てあとがきを読むと、むしろしらけた感じしか残りません。