「たばこを吸うと医療費がかさんで健保制度が圧迫される」という人がいますが、彼らは喫煙者が莫大な税金を国庫に納めていることをわかっていないし、わかろうともしない。かつ喫煙が原因でノンスモーカーより健保に負担をかけている喫煙者がどれだけいるかもわかっていない。私は喫煙が原因で病院にかかったことなど一度もありません。肺ガンだろうが、胃ガンだろうが人間死ぬときは死ぬ。喫煙者が呼吸器系に異常をもったときは手遅れのことが多いはずで、ノンスモーカーの方が医療費が安く済む、というのは必ずしも正しいとは言えません。ノンスモーカーだって何かの病気で死ぬんですから、結局、最後は喫煙者と同じように健保に負担をかけているのです。
そしてノンスモーカーの方にわかっていただきたいのが、たばこにでも頼らないと生きるつらさに耐えられない人間がいるということです。ノンスモーカーは喫煙者はみな遊び半分にたばこを吸っていると思いがちですが、それはあまりに皮相的な見方であり、心を病んで可能なら覚せい剤にでも手を出したいほど苦しんでいる人間は世の中ごまんといます。アル中だってそうでしょう。この社会はノンスモーカーの人たちのように強い人間ばかりで構成されているわけではないのです。たばこや酒のように逃げ場を必要とする人間が大勢いるのです。お金や健康という観点からしか喫煙を見ることのできない人たちに、私はこの問いを是非投げかけたいです。「たばこをやめたら、あなたは私を救ってくれるのですか?」
ただ喫煙者にとって脅威なのは、肺ガンが極めて死に際のつらい病気だということです。私はこのリスクも承知の上でやむを得ず喫煙しているのですが、やはりもがき苦しみながら死ぬよりも、ポックリと死にたい。私は小中高とすべて公立の学校に通いましたが、どこにも授業中に「楽な死に方」を模索して脱線した話をはじめるネガティヴな教師がいました。そして話に結論を出すことができないまま教室を後にしていました。当たり前です。「いまわの際はどうだった?」と死者にインタビューすることはできませんから。「もう何年も人生のロスタイムを歩んでいる」という感が拭えない私も、気がつくとしきりと楽な死に方を模索しています。結論としてコカインや覚せい剤を多量に服用した後、拳銃の銃口を口にくわえて引き金を引くのが一番楽だと思っています。しかしこんなことは中南米にでもいかないとできないでしょうが。メキシコやコロンビアは条件がすべてそろっていそうです。
ところで日本の文豪にはなぜか自決した人が多い。芥川龍之介、太宰治、川端康成、三島由紀夫……等々。特に三島は自ら人生の脚本を書いて、死までその脚本通りに実行したと言われています。長いロスタイムに終止符を打つため、私もいくつか頭に描いてみました。己が死への憧憬をかろうじて押しとどめているのは、親に申し訳ないという、私に残された最後の人間性だけです。親が死ぬまではこの砦をなんとか死守しないといけない。そのためにはやはりたばこは必要ですね。私は弱い人間ですから。