2014年05月21日

『頭を冷やすための靖国論』――今一度あの戦争を振り返る

 『頭を冷やすための靖国論』(三土修平著、ちくま新書)を読みました。7年前に出版された本ですが非常に有意義でおもしろかったです。筆者はニュートラルな立場から靖国派と反靖国派の問題点を洗い出そうと努めていますが、バランス的には靖国派への批判が大半を占めています。
 2001年に小泉純一郎が自民党総裁に選出され、公的立場での靖国神社参拝を繰り返し、2006年にはとうとう終戦記念日に靖国参拝を強行しました。私は非常に苦々しい思いでこの様子を中継したテレビニュースを見ていました。このスタンドプレーに対して我が国は中国・韓国から大変な非難を浴び、以降東アジア外交はぎくしゃくしたものになります。
 私が靖国神社に対して嫌悪感を抱いたのは、テレビでその敷地内にある博物館(この本を読んでそれが遊就館という名であることを知った)を見たときです。そこには戦艦や戦車などのプラモデルらしきオブジェが所狭しと飾られており、とても死者を弔う場所には見えませんでした。ミリタリーマニアたちが泣いて喜ぶただの軍事博物館です。
 しかし最近またアベ内閣の閣僚たちが続々と靖国に参拝する姿を見て、自分が靖国神社を嫌悪しながら実質的に何もこの神社について知らないことに気づきました。知らないものに対して批判はできませんので、本書を読んで靖国神社という施設に対して正しい知識を得ようと思ったのです。しかし筆者が“靖国問題というのはまことに一筋縄ではいかない問題で、分け入れば分け入るほどいろいろな側面でこの問題のもつ「割り切れなさ」に遭遇する”と述べているように、あまりに奥が深いです。

@ 靖国問題は国内問題である

 日本遺族会の票欲しさに実行したあまりに無神経な小泉の靖国神社公式参拝によって中韓から大変な批判を浴びた結果、メディアから流れるニュース・論説を見て「靖国問題=外国からの内政干渉」と勘違いしている人が非常に多いです。
 しかし靖国問題は純然たる国内問題です。日本人が靖国神社に対する統一した見解・態度をもち得ないから、まず国内で靖国に対する賛否両論が飛び交い、論争になります。それは後述する靖国神社のもつ性質に対する日本国民の評価が真っ二つに割れていることを示しています。
 そして靖国問題を突き詰めると、どうしても先の大戦はなんだったのか、という我が国にとって不可避の命題にたどり着きます。靖国問題がこれだけこじれるのは、結局我が国があの戦争をきちんと整理できていないことの証しなのだと思います。

A 靖国神社の成り立ち、性質、及び戦没者遺族の思い

 靖国神社の成り立ちについて本文にはこのような記述があります。
戦前、陸軍省と海軍省の管轄下にあった靖国神社は、起源的には1869(明治2)年に戊辰戦争での官軍側の死者を祀る東京招魂社として発足しており、天皇のための戦いに斃れた天皇側の死者を、天皇の宗教である神道形式にのっとって、神として祀ることを本質としている。それが西南戦争その他の内乱にも適用され、その後の対外戦争にも適用され、支那事変(日中戦争)をへて大東亜戦争(太平洋戦争)にいたった。
 つまり天皇ために殉死した者を国家として顕彰する施設だったということです。そして
天皇のための尊い死を遂げた者は護国の神と祀られて、天皇家の祖先神を頂点とする神道の神々の中でも枢要な地位に就く。
とされており、仏教やキリスト教のような宗教的内容のない、教義の空っぽな宗教としてスタートしているわけです。筆者はこのような靖国神社の在り方を評して“世俗のピラミッド組織の頂点に立つ者を後光で飾ることのうちにのみおのれの存在意義を見出すような宗教施設”と評しています。
 靖国神社設立の背景には、天皇を頂点とした近代的中央集権国家の樹立を目指す明治維新政府の強い意志があります。維新政府は靖国神社・護国神社など全国の神社に天皇の後光を飾らせ、政治の道具としてフル活用しました。
 戦後も戦没者を靖国神社に祀ってほしいという遺族の声が絶えませんでした。私はなぜこのような軍国主義の象徴のような神社に肉親を祀ってほしいと願うのか、その真意がわかりませんでしたが、本書に以下のような記述があります。
・・・靖国神社も創建以来80年近くかかってその絶頂期に登りつめた歴史をもち、その過程で、家の仏壇や郷里の墓とともに、靖国神社もまた身内の死者に出会える場だとする遺族の意識も広く育まれていた。
 80年という歳月は重いです。これだけの時間をかけて日本人の国家神道に対する宗教感覚は育成されたのであって、敗戦でポロっと意識を変えるというほうが無理です。よく「戦前の『忠君愛国』『一億玉砕』は手のひらを返したように『平和』と『民主主義』に変わった」と言われますが、そのような事実は現実的にありえず、戦前の軍国主義思想や教育が敗戦後も日本社会に色濃く残っていったようです。靖国問題を考える際には、そうした戦没者遺族の思いも鑑みる必要があると思います。
 ただし私が不思議に思うのは、いまだに日本遺族会という組織が政治的に大きな勢力を保っており、首相の靖国公式参拝などを要求していることです。いくら戦没者の追悼を大切に思うにしても、戦没者をじかに知っている人たちは時を追うごとに減少しており、戦争体験者も同様です。すでに終戦から70年の時が経過しているのです。それでも日本遺族会が勢力を保っている理由が私には解せません。これは私の勉強不足であるので、今後調べて機会があれば本ブログで紹介したいと思います。

B 靖国神社の存続は東西冷戦の本格化による妥協の産物

 本書の第5章、第6章では占領下の靖国神社をめぐるGHQと日本政府のやりとりが克明に記されています。政教分離を内容とする1945年12月15日の神道指令、1946年2月2日に宗教法人令が出されて戦後の靖国神社は私法人として再出発することになります。このとき靖国神社の将来については3つの選択肢がありました。

  1. 靖国神社は軍国主義精神涵養のための政治的施設以外なにものでもなく、宗教でもないため閉鎖する
  2. 神道的形式を払拭した記念堂のようなものに変えて、どんな信仰を持つ者もわだかまりなく追悼の誠を捧げうる場とする
  3. 神社としての側面をそのまま保持させる代わりに、政教分離の制度下では「民間のもの」と規定されるがそれでよいのだなと念を押した上で、存続を認める
 結果は周知の通り(3)となったわけですが、筆者は(2)の形で靖国を存続させるべきであったと述べています。(3)の形で残った結果、靖国神社は戦後も公然と「天皇のための死こそ何よりも尊いとか、まつろわぬやからを征伐するとかいった価値観」を維持することができたのです。なぜなら民間の一宗教法人となった以上、信教の自由が保障されるからです。
 筆者が(2)の形を最善とするのは、21世紀になってから論じられ始めた新追悼施設の問題がこの時点で解決され、かつまた国家のために死んだ戦没者に誠意を示して欲しいという遺族の感情も満たしうるからだ、と述べていますが、私はそんなものかな、ぐらいにしか思いませんでした。神道的要素をこのとき取り除いても、あとで復活させることができるのではないかと考えたからです。
 しかし(3)として残してみると、靖国神社が戦没者遺族をまるごと崇敬者団体として組織するような案を考えていたことなどが発覚してGHQの態度を硬化させ、1946年11月に軍国的神社の土地を事実上没収する指令を発し、靖国は存亡の危機に立たされます。ところが1948年東西冷戦が本格化し(この年ソ連によるベルリン封鎖が起こった)、日本を西側陣営に抱き込んで反共の砦として強化することを急務と考え始めた米政府は、民主化の徹底より経済の再建のほうを重視するようになり、日本の旧勢力とも妥協する姿勢を示し始めていました。そして1949年の中華人民共和国成立、1950年の朝鮮動乱勃発と東アジア情勢が緊迫したため、1950年GHQはなし崩し的に軍国的神社の土地の没収を取り消します。結果たなぼた的に靖国は存続することができました。

C あの戦争と近隣諸国への対応を振り返る

 小泉の靖国参拝に対して、中国・韓国から猛烈な批判があったことは記憶に新しいことですし、今の内閣もしょうこりもなく靖国参拝を繰り返しています。中韓からの批判を受けて保守派の人たちは「内政干渉だ」と排外的ナショナリズムを煽り立てます。
 中国・韓国の反発は、A級戦犯の祀られているところへ首相が公式参拝するところにあります。
 中韓の反発については後述するとして、確かに東京裁判は勝者による正義なき裁きだ、とは私も思います。ただし戦争を起こした政治家・軍人たちは日本国民に対しても、勝ち目のない戦争をはじめ、300万人の国民を死にいたらしめ、国土を荒廃させたことに対する重大な、あまりに重大な責任があります。A級戦犯の選別方法は違ってくるでしょうが、仮に東京裁判がなかったとしても、国内において戦争責任を問われる身であったことは間違いありません。
 戦争という行為は人命がかかっている以上、当然大きな責任がのしかかってくるのです。そのことを当時の政治家・軍人たちがわかっていたのかどうか、知るべくもありませんが、戦争はその時代の人たちだけでなく、その子孫にまで大きな責任という重荷を背負わせます。あの戦争があったから、我が国は中国・韓国と出口の見えない論争の泥濘に足を取られ、嫌な思いをしているのです。
 それでも我が国の政治家たちは靖国参拝をやめようとしない。A級戦犯云々は別にしても戦前は軍国主義の象徴であった神社に誰が参拝してくれと頼んだか。

 そして中国・韓国との関係についてですが、筆者は以下のような指摘をしているので、少し長いのですが引用します。
戦争が終わったときにまず真っ先に目指すべきは、そのような大きな被害を与えてしまった近隣諸国との関係をどう修復するかであったはずだが、日本がアメリカの事実上の単独占領下に置かれたことと、その後まもない冷戦の開始によって、その課題がかすんでしまい、日本の国際社会への復帰は、対米関係の修復に偏って進められることになった。このため日中国交回復が話題になる1970年代の初頭まで、日中戦争の責任を国としてどう果たすかの問題は棚上げにされていた。戦後のドイツがフランスなど近隣諸国との関係回復にまずもって努力を傾けなければ生きてゆけなかったのとは、その点が大きく異なっていたのである。  その偏った外交は、当時の国際情勢の下ではそれ以外にありえない選択だったと言ってしまえばそれまでだが、そのときに示されたアメリカの温情に甘えて、あとはひたすら戦後復興と高度成長へと突っ走ってきた日本人の意識の中で、戦後処理の本当の課題を希薄なものにしてしまうという、たいへん大きなツケをともなったのである。そのツケの支払いを求められるのは当然なのだということを、右派の人々ももうそろそろ理解しないと、今後の日本は近隣諸国のあいだで浮き上がる恐れがあるのだ。
 新書の中で戦争責任についてきちんと言及している本に巡り合えて私は正直うれしかった。
 この文章の直後に筆者は幕末にロシアに日本が攻め込まれるという架空の話を作り上げ、我が国の国土を蹂躙したロシアが戦後何の謝罪もないまま、責任者をクレムリンに祀れば日本人の心はおだやかではないだろう、という例を示していますが、こんな例を挙げなくても、もし中国・韓国と日本の立場が逆だったら、戦後の日本政府のような対応されて納得できるのか、と右派の人々に問いたい。
 もちろん中国・韓国が日本より先に軍備の近代化に成功していれば、中韓は日本に攻めてきたでしょう。しかしそれはあくまで仮定の話であって、我が国が中韓を侵略したのは事実なのです。
 1995年村山談話が発表されたとき、私は万感の思いで新聞を読み、テレビニュースを見ていました。当時私は大学生でしたが、日本の政治家も捨てたもんじゃない、と喜んだものです。しかしその後が続かないのが歯がゆい。
 中国・韓国で燃えさかる反日教育・反日デモは日本政府の誠意のない対応を批判しているのです。そしてA級戦犯の合祀はともかく戦前に軍国主義の象徴であった靖国神社に国家元首が堂々と参拝すれば、腹が立つのは当たり前なのです。
 私のような考え方を「自虐史観」と右派の人たちは馬鹿にしますが、きちんと歴史的事実を学び、自分でその事実を精査したなら、自然とこのような結論に到達するはずだと考えます。右派の人たちはマスメディアの扇動的な報道を真に受けて、自分で考えることをせず、感情的になるため「暴力こそ正義なり」という前近代的な腐った建物に安住しようとするのでしょう。
 私は民間レベルで中国・韓国の人たちと話し合いの場を持ち、お互いが思っていることを徹底的にぶつけ合うことが、日中関係・日韓関係において非常に有意義な結果をもたらすと考えています。政治家・官僚同士で話をしても建前論から前に進みませんから。そのために日本政府は無駄なところに税金を使ってないで、中韓との関係改善のための善後策に資金を投じるべきです。

D 終わりに

 第7章(最終章)「もう一度、あの戦争を考える」の中で以下のような記述があったので引用します。
目下のところだけを見れば、退場しつつある「戦友会」世代のあとを受けて、抽象化した死者の口を借りて「民族」や「国家」を手前勝手に叫びたい若者が支持者として名乗りをあげるという好ましくない図式が、この神社を特色づけてしまっているが、50年、100年というタイムスパンで考えれば、この流れだけが今後の靖国神社のすべてを規定するわけでもないと私は思う。
 ネット右翼たちの掲示板などを見ていると、何か悪いことが起これば在日朝鮮人のせいにしています。ネット右翼たちは自宅に引きこもって四六時中端末を眺めて、悪意に満ちた書き込みをしているのですが、そんな生活しかできない連中が、在日朝鮮人の方々と比べてどこが優れているのでしょうか?
 私が思うに、ネット右翼たちは自分たちが劣等感のかたまりであるがゆえに、自分たちより劣っていると思い込んでいる在日の方々を罵っては自己満足に浸っているでしょう。
 私がネット右翼たちに常々聞きたいと思っていることに「なぜ中国・韓国を罵るくせにアメリカの悪口を言わないの?」ということです。アメリカは我が国の神聖な土地に軍事基地を設置し、貿易面では農産物の関税を下げろ、と明らかな内政干渉をしています。アメリカは自分たちが我が国に平和憲法を押し付けたくせに、いざ中東などで軍事作戦の必要が生じると、我が国の憲法を無視して自衛隊を派遣しろと得手勝手なことを押し付けているのですよ。
 ここまで自分勝手なことは中国も韓国も言ってません。
 本当にネット右翼のみなさんが愛国者なら、アメリカに対して苦言を呈するべきではないのですか?
 おそらくネット右翼のみなさんはマスメディアの興味本位の報道を真に受けているのでしょうが、その背後に隠された真実を読み取って、自分でものを考えて判断できるようになることを切に願っています。

 靖国神社の将来についてですが、仮に筆者の言うように戦友会世代が退場してしまえば、小泉が欲しがった日本遺族会の票もなくなるわけです。しかし先述したとおり2014年現在においても、首相、閣僚らの靖国参拝が後を絶たないのはどういうわけか不思議です。
 今後戦争をじかに知る方々が逝去され、政治家に靖国参拝を求める声がなくなったとするならば、私は靖国神社を戦前・戦中の軍国主義の象徴だったとして、反戦平和を求める上での逆説的なモニュメントとして博物館にするのがいいのではないかと思います。

posted by つばさ at 13:15| Comment(5) | TrackBack(0) | 書評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする