2012年10月09日

頭がいいとはどういうことか 【其の一】

 「頭がいいってどういうことだろう?」ということは人間として存在する以上どうしても不可避的に考えてしまうテーマだと思います。私も小学6年のころからインテリジェンスについて漠然と意識し始め、今に至るまで様々な知性の在り方を考えてきました。以下で私なりのインテリジェンスについての意見を述べたいと思います。ただこの意見というものは、当然私の今までの経験に基づいた推測・憶測を多く含んでいます。知性については医学的・生物学的にほとんど何もわかっていないのが実情ですから。意見が千差万別になるのはいたしかたないといえます。したがって、もしみなさんなりのユニークな知性観があるようでしたら、向学のためコメントなどを通じて教えていただければ幸いです。

参考図書:『「頭のよさ」は遺伝子で決まる!?』石浦章一著 PHP新書

 この本はたまたま家にあったから読んだだけです。数年前に新刊で買ってほったらかしにしていました。人間の知性に関する本はもっと適切なものがあると思います。あまりいい本ではありませんでした。

1. 偏差値が高いということ

 多くの方が「頭がいいとは東大・京大のような一流大学へ入る学力をもっていることだ」と考えていると思います。しかし私は「否」と断言します。偏差値の高い人は単にペーパーテストに対する適正が優れているだけです。ペーパーテストに対する適正は人間の能力のうちのほんの狭い一断面を示しているにすぎません。私は二浪の後、まぐれで一流と呼ばれる大学に入りましたが、入学以後この思いを強くもちました。学内にはもちろん優秀な人たちがたくさんいましたが、逆に「何でこんな人がこの大学にいるの?」と思う愚鈍な学生多々いました。私は偏差値というものに幻想を抱いていたことを知りました。

 では頭がいい人とはどういう人のことを言うのかについて、次の2つの言葉を引用して考えてみます。

「頭のいい人、悪い人という区別がよくされるが、本当の天才を除いたら、あとはそう大差がないのが人間である。それでいながら、両者を区別してしまうのは、ほとんどの場合、頭の善し悪しではなく集中力の有無である」

多湖輝(心理学者、「頭の体操」シリーズで有名)

「長年にわたり人間性の研究をした結果、優秀人と凡人との相違は、一つの特質の有無で決まることがわかった。それは〈好奇心〉である。優秀人でこの特質のなかった人はいないが、凡人でこれを持ち合わせた人も見当たらなかった」

チャールズ・ブトワ(米の大衆心理学者)

 要するに頭がいい人は「集中力」と「好奇心」を併せ持っているということになります。しかし何事に対しても集中力と好奇心をもつ人はほとんどいないでしょう。研究・仕事など自分が従事する分野において集中力と好奇心を投下できる人が頭がよく成功者となるのだと思います。先に挙げた受験で言えば試験科目とペーパーテストに集中力と好奇心を発揮できる人偏差値が高いのでしょう。さらに細分化すれば当人が集中力と好奇心を発揮できる科目は得意なのであり、そうでない科目は苦手になります。

 ここで私が思いつく限りのペーパーテストに必要な要素を挙げてみます。

記憶力:記憶力といっても覚える対象によってさらに項目が細分化されます。まず固有名詞を記憶する能力があります。人間がボケはじめると固有名詞から忘れていきます。この能力は文科系科目に必要です。

 それから数字など一見無意味に見える文字・記号の配列を記憶する能力があります。計算力などといいますが、計算の早い人は計算結果を非常によく覚えています。私は計算とはその場で考えるものだと思っていましたが、塾講師の仕事をしているときに数学の講師や数学の得意な生徒に話を聞いてみると、二桁の掛け算ぐらいは覚えていると言っていました。数学が苦手だった私はこのことをもっと早く知るべきだったと悔やんでいます。

 それから最後に単語の記憶力です。これには漢字も入ると思います。習いたての頃は英単語にしろ漢字にしろ覚えるのに苦労しますが、ある程度覚えると、例えば英単語であればアルファベットの配列にいくつかの規則性があることを発見するので、そうなれば綴りを覚えるのは早いと思います。

文章読解力:問題文が日本語で書かれている以上、その意味がわからなければ問題は解けません。日本語の文章をたくさん読んで慣れる必要があるのですが、そうすることによって語彙力をあげて単語の配列を把握するため、これも一つの記憶力と考えることもできます。

抽象的概念の把握、C 空間認知能力、D 論理的思考能力などまだまだいろんな要素があると思いますが、文科系の私にはB〜Dは説明できないので省略いたします。

2. 偏差値教育の弊害

 私は学校の成績が悪い子はただ単に努力を怠っているだけだと単純に考えていました。成績が悪い人も話をすれば成績のいい人となんら変わるところはないからです。むしろ成績のいい人の方が内向的で無口な人が多いため、こっちの方がバカに見えることも多々ありました。言いたいことが言葉となって口からすぐに出てこないため愚鈍に見えるのです。しかし私が塾講師をはじめて、成績の悪い子の指導にあたると、ペーパーテストに関しては先天的な要素が非常に大きく影響することがわかりました。彼らの多くは非常に真面目で性格が良く素直なのですが、紙に書かれたことがほとんど頭に入っていきません。生理的に受け付けないのです。〈with〉という単語が一年かけても読めなかった子、教えたことが五分後には頭から抜けている子、十分以上集中力を保てない子など、私のそれまでの常識では考えられなかったような子どもに多く出会いました。またその一方で不登校など性格的な問題がある子には、そのときの成績は悪くても、他の子よりも何倍もはやく単語を覚えたり、計算ができたりするケースが多くありました。ただこういう子どもは忍耐力がないため、塾にもすぐに来なくなる。こういう場合はともかく、紙に書かれたことが頭に入らない子どもについては、教える方もつらいですし、本人はもっとつらいでしょう。さらにこういう子どもに受験本番前、無理な詰め込みをすると受験が終わって緊張から開放された後に、人格が壊れてしまう場合もありました。私は大変な良心の呵責を感じましたが、仕事である以上やらざるを得ません。このような上からの偏差値教育のゴリ押しは明らかに間違っています。

 私の非常に近しい知人にAさんという人がいます。Aさんは学校の成績が悪く、高校生のときは暴走族に入って何度も警察のお世話になるなど、親泣かせの存在でした。しかし卒業して車のセールスマンをはじめると彼は大成功をおさめます。今では大阪市内の超一等地に一戸建てを構え、愛車は最高級のベンツです。

 Aさんは小さい頃から人を褒めるのが非常に上手だったそうです。上手というより人を褒める性質がそもそも先天的に備わっていたようです。みなさんご存知の通り「人を褒める」ことは営業マンの基本中の基本です。彼はその特性を備えていたがゆえに大成功をおさめたのです。

 このAさんの例を見ておわかりのとおり、偏差値など人間の価値を測る上であまり瑣末で取るに足らない要素なのです。スポーツ、音楽、芸術等々人間が社会に出て活躍できる分野は山ほどあります。親や教師は勉強のゴリ押しをする前に、子どもの資質を見抜いてその子が活躍できる分野を探してやるべきなのです。本人が現状で満足しているのに、世間体のためだけにさらに上の学校に行かせようとする親が中にいます。こういう大人は法の網にかからない人権蹂躙という大罪を犯しているも同然です。学校教育とは大人の価値観を押し付ける場ではなく、本人の意志を最大限尊重する場になるべきだと思います。

(「頭がいいとはどういうことか?」というテーマから最後はいささか脱線してしまいました。すみません。)

この記事は長くなったため、2回に分けて投稿することにしました。続きは明日投稿します。


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posted by つばさ at 23:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 随筆 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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