2012年10月10日

頭がいいとはどういうことか 【其の二】

3. 創造力

 「頭がいいとはどういう人のことを言うのか?」と問われれば、私は間違いなく創造力のある人、と答えます。偏差値が高い人というのは、ただ単に与えられた課題を記憶する能力に優れているだけです。創造力のある人というのは既存の知識をベースに、それまで誰も思い付かなかったことを考え出したり、発見する人のことです。ガリレオ、ニュートン、アインシュタイン、ドストエフスキー等々・・・・ここに挙げた人たちは歴史に残る天才たちで、このレベルに到達しようと思えば才能・努力以上に運が必要となってくるでしょう。時代や環境といった不確定な要素が才能・努力以上に大きな影響を与え、このレベルの偉人になる確率の分母を幾何級数的に押し上げるのです。そんな分数の分子の「1」になるのは人間の力だけでは到底無理です。以前このブログで取り上げた山崎晃嗣も生きた時代に戦争がなければ、ケチな高利貸しではなく、東大の学長や総理大臣ぐらいにはなっていたかもしれません。

 ただし一般的な人生の成功者、勝ち組となる程度であれば、人間の力、努力でその手につかみとれるものなのかもしれません。そのためには既存の知識にあぐらをかいてボケッとしているのではなく、成功するためには何が必要かを血眼になって追求する姿勢が必要になるでしょう。「創造的であること」について最後に元京セラ会長の稲盛和夫氏の言葉を引用してみます。

「創造的発想は、何かを求めてただ漠然と探している状態では出てこない。問題に直面し、悩み苦しみぬいていると潜在意識の中にまで浸透してしまい、ある瞬間にほかのことを考えていても、潜在意識下にはその問題があるという状態、壮烈なまでにテーマに取り組んでいる状態が新しいクリエイティヴな発想を生むのではないか。物事を成すのに狂気の精神状態にならなければ、創造的なことなど絶対にできない」

4. 人間、その不思議さ

 1940年カナダのペンフィールドという神経外科医が、てんかん患者の脳を開いて、脳の様々な部位に電極をあてて電気刺激を与えるという手術をしました。すると患者は電極のあてられた位置によって過去の様々な出来事を思い出すという現象が起こったそうです。この結果から人間の記憶は脳のいろんな部位に収納されていて、脳に適切な電気刺激を与えれば生まれたときからの記憶すべてを思い出せる、という仮説が生まれています。つまり私たちがものを忘れるということは、その記憶が脳のどこにしまわれたのかわからなくなる現象だということです。臨終の際に過去の記憶が走馬灯のように頭を駆け巡る現象も、生と死の狭間に脳内の神経細胞をこの種の電流が流れるのでないか考えられます。

 またアスペルガーやサヴァン症候群と呼ばれる病気の人々の中には、ある極めて狭い分野に対して尋常ならぬ好奇心と集中力を発揮する人がいるそうです。彼らが興味をもつ分野の大部分は取るに足らないこと、例えば回転する洗濯機を何時間も飽きもせずに眺めるとか、レインマンのモデルの人物のように何年も先のカレンダーを覚えているとかですが、彼らの興味がもし数学や物理に向けられたら、大偉業を達成する可能性が非常に高くなります。常人の場合、好奇心・集中力がいろんな方面に散乱しますが、彼らの場合、ただ一点に集中するからです。私はニュートンやアインシュタインにもアスペルガーに近い性質が備わっていたのではないかと推測しています。彼らが学校教育では数学・物理以外は劣等生だったという逸話から、数学・物理に常人以上の集中力と好奇心を発揮したのではないかと考えられるのです。またファラデーのように初等教育さえ受けていないのに、電磁誘導の法則など大発見をした人もいます。ファラデーは世俗の欲を全く示さなかった人として有名であり、それだけに物理学に自己の好奇心と集中力のすべてを投下できたのでしょう。さらにキャベンディッシュという風変わりな天才もいます。彼は人間嫌い、女性嫌いとして有名で、親から莫大な遺産を相続後、屋敷にこもって日夜物理学の研究にいそしみ、クーロンの法則やオームの法則という大発見をしながら、生前に発表しませんでした。彼は物理の研究そのものを楽しんでいるだけで、その発見が社会にどれほどの影響を与えるかなど全く関心がなかったのです。ファラデーやキャベンディッシュの伝記を読むと、理数系の天才たちには世俗の欲望にほとんど関心がない人が多いことに気づきます。しかし今我が国で理数系のいい大学に行くためには、国語や社会など無駄な科目も勉強しなければなりません。我が国で理数系の天才をはぐくむためには、余計な科目を勉強させない新たな入試制度が必要であると考えます。今の教育制度では和製ニュートンや和製ガリレオが歴史の闇に埋もれてしまいます。

 私が塾講師をしているときに、B君という高二の生徒を受け持ったことがあります。B君は数学だけは抜群にできるのですが、他の科目がさっぱりなので私が英語を教えていました。彼は小さい頃から電卓がおもちゃ代わりだったそうです。あまりに数学ができるので彼に数学オリンピックに参加したらどうだ、と提案すると彼は提案どおり参加して、何も勉強していないのに準入選となって数学オリンピックの公式HPに名前が載りました。ただB君について少し気になっていたのが、彼はおしゃれをする気などまるでないのに、塾に来たときからやや長髪だったことでした。しかし毎週見ていると私も慣れてきて、髪の毛のことを話すことはありませんでした。そしてB君は非常に無口でなので指導中、間をもたせるのに苦労しましたが、あるとき珍しく彼が雑談に乗ってきたので楽しく言葉を交わし、なぜ長髪なのかを聞いてみました。すると彼はなんのためらいもなく耳の上の髪の毛をかきあげましたが、驚いたことに片方の耳たぶがありませんでした。彼は耳を隠すために長髪にしていたのであり、私はそれをみてしばらく絶句してしまいました。この塾は責任者に問題があったため、私は途中でやめてしまい、結局B君がその後どうなったかはわかりません。ただ彼の数学に対する非凡な才能は、欠けた耳たぶと関係があるのではないか、と私は考えています。

 非凡な才能を肉体的・精神的な欠陥と結び付けてしまうことは、フェアではないし、倫理上問題があります。ただ人間の能力とはなんと多様で不思議なものだろう、と私は思わずにはいられないのです。タンパク質の塊が生命となり、やがて進化して心をもつようになる。心や知性とはなんだ、と考えると頭がおかしくなりそうで、超常現象や宗教にすがりつくような人の気持ちがわからないではありません。霊魂などの超常現象を私は信じませんが、地震、津波、あるいは死よりも自分がものを考えていることの方が恐く感じることがあります。「なぜ私はものを考えるのだろう・・・・この想念はどこで生まれて、どこへ飛んで行き、なんの意味があるのだろう?」こう考えるとき、私は背中を虫が這うような感じがして総毛立ちます。心は質量のないエネルギーだと考える学者もいます。宇宙の神秘が解き明かされるとき、私たちは赤裸々な心の在り様を目の当たりにするのでしょう。見るというより感じるものなのかもしれません。そしてその心の正体はあまりに醜悪なため、私たちの感性をことごとく破壊するような気がします。

 以前NHKで『宇宙――未知なる大紀行』という番組が放送されて、毎回楽しみに見ていました。その最終回に生物の未来像について以下のような推測をとある学者がしていました。

「将来、知的生命は電気を帯びた塵のつぶが、電磁気力で結びついた集合体となり宇宙空間を漂うようになるだろう。それは決まった形はもたないが、信号を伝える神経や筋肉にあたる組織をもっていて、生物として機能し、ものを考えることもできる」

 この話を聞いて、私は知性がなんであるのかますますわからなくなってしまいました。今後ニュートン、ガリレオ級の天才が日本に出現して、知性・心の正体を解き明かしてくれることを期待するのみです。


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posted by つばさ at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 随筆 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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