2012年11月21日

男やもめが結婚・離婚について考えてみた

 今回標題のような記事を書こうと思ったのは、『家庭内離婚』(林郁著、ちくま文庫)を今一度読み直したからです。大学生のとき講義でこの本を読んでレポートを書くよう指示されたのですが、非常におもしろかった。学生時代に読まされた教科書類は卒業と同時にほとんど捨てましたが、この本だけはおもしろかったので引越しのとき実家に送りました。
 この本はタイトルのとおり、離婚についての五つの実話を短編小説としてまとめたものです。妻が主人公のものが3話、夫が主人公のものが2話あり、5組の夫婦の苦悩、闘い、葛藤が克明に記されています。
 結婚の経験のないやもめが言うのも差し出がましいですが、夫婦関係は難しいですね。私の周りでも離婚した人たちがたくさんいて、離婚しないでいるカップルを見ると、こっちの方が珍しい感じがするぐらいです。本書で取り上げられた離婚するカップルについて考えてみると、夫か妻の一方が全面的に悪いというケースは一つもありません。お互いの言い分に充分な根拠があるからこそ、主張が正面からぶつかり、妥協点を見出せず、破局にいたるケースが多いようです。
 本書のあとがきで述べられていることですが、「暴力、サラリーローン、酒乱といった、はっきりした話よりも、得体の知れないモヤモヤした話が多い」のが最近の夫婦不仲に多い要因だそうです。モヤモヤした話とはどういうことかというと「理屈では割り切れない字余り≠フ世界が夫婦関係にはあり、考えや志向の食い違いも、相手の目つき、口調、体臭・口臭などがいや、寝るのがいやという感じで話されることが多い」ことだそうです。
 なぜかやもめの私にも思い当たる節があります。志賀直哉は〈一たん厭だと思い出したら、その人がする咳一つでも堪らなく思うものだ〉と言っています。30年、40年も一緒にいれば、お互いの悪い面もたくさん目にするわけで、それが積もり積もったとき「モヤモヤした字余りの嫌悪感」が爆発するのではないかと思います。本書の第一話の『長男嫁のたたかい』では妻が夫の浮気をきっかけに離婚を決意しますが、その背後には痴呆の舅と姑の面倒を押し付けられ、かつ自分はフリーライターとして仕事をしたいのに家事に追われてその仕事ができない不満が、夫の浮気をきっかけに爆発します。浮気はただの導火線に過ぎないのです。こうした複合的な要因により、問題の解決は人知では不可能なわざにまで押し上げられています。
 さらに私が本書を読んで感じたのは、夫や妻がモヤモヤした気持ち悪さを感じるのは、このまま夫婦生活を続けても、有意義な将来像が見えないことへの大きな不安を抱えていることです。第四話の『ハイテク夫』の最後の方で、主人公が網膜はく離の手術をした後、「おれたちの涙が、汗が、むくわれる日が来る、その日が近い、か。何て夢のある、いや、嘘っぱちの結果になった歌だろう」と涙するシーンがあります。本書の五編とも、主人公が自分の将来に灰色の風景しか見えない絶望状態に陥っています。現代人がこのような絶望感・虚無感に襲われるのは、筆者は「生き方の手本がない」ことをその理由の一つに挙げています。
 それでは離婚率が低かった昔の方が夫婦関係がよかったのか?という疑問が生じますが、この疑問に対する一つの見解として漱石の『行人』からの一節を引用してみます。
「男は厭になりさえすれば二郎さんみたいに何処へでも飛んで行けるけど、女はそうはいきませんから。あたしなんか丁度親の手で植え付けられた鉢植えのようなもので一遍植えられたが最後、誰か来て動かしてくれない以上、とても動けやしません。凝としているだけです。立枯になるまで凝としているより外に仕方がないんですもの」
(どんどん頭がおかしくなる主人公一郎との同居に耐えかねて、下宿に逃げた話者である弟の二郎のところへ一郎の妻の直が訪問したとき、言った言葉)
と言って直は涙を流します。私はこの一節を読んだとき、なんとも哀れな気持ちがして目頭が熱くなりました。この時代の女性の地位の低さは明らかに問題ですが、それでは今の女性がこの当時の女性より幸せかということになると、私は無条件に肯定はできません。時代が進むにつれて人類が幸福になっている、という見方は単なる幻想です。
 人間関係はあまりに難しい。あまりに複雑な上、答えがないということを考えると、大学で高等数学の問題をウンウンうなりながら解くほうが、答えがある分、楽かもしれません。
 私が学生のときはこの本を読んで、ただただおもしろい、どうせ人ごとだ、で済んだのですが、今読むとあまりにリアリティがあり、身につまされ、恐怖さえ感じました。元々結婚というものに対して積極的ではなかった私が、さらに結婚に対して腰が引けてしまいました。結婚についてだけではなく、老いて体がいうことを聞かなくなることへの不安、焦りも20年前とは違い、痛切に身に沁みました。
 私たちは一生を常に解決できない問題を懐に抱えながら生きていきます。その中で癒されることのない不安や不満、恐怖に打ちのめされる日が来るかもしれません。芥川龍之介はその遺書の中で「自分の将来に対するぼんやりとした不安」を自決の理由として書いています。私はとても卑怯な死に方であると思いますが、同時に彼の心情がわからないでもありません。私のある友人は毎日繰り返される単調で味気ない生活について「慣れて何も感じなくなった」と言ってました。私はそれを聞いてあれこれと余計な詮索をするのではなく、鈍感になることを学ぶことが現代人に一番必要なことのような気がしました。

(追記)
『家庭内離婚』は1985年刊行で残念ながら今は絶版となっています。絶版となった本などを紹介して大変申し訳ありません。しかしまだAmazonには在庫があるようですし、大きな図書館に行けばおいてあります。この素晴しい本を是非とも復刻していただくよう出版社の方にお願いしたいです。


posted by つばさ at 05:44| Comment(1) | TrackBack(0) | 随筆 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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参考になりました。
Posted by at 2014年12月07日 01:57
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