【あらすじ】
舞台は南イングランドの田舎町。主人公はベネット家5姉妹の次女エリザベス。彼女は溌剌とした知性を持ち、自らもそれを自負しています。
物語の冒頭でベネット家の近くにミスタ・ビングリーという独身で金持ちの男性が引っ越してきて、舞踏会などを通じてエリザベスの姉のジェーンとビングリーが仲良くなります。ビングリーと一緒にやってきたダーシーというビングリーより金持ちの男性もいたのですが、態度が高慢で鼻持ちならず、女性陣から嫌われます。エリザベスはダーシーから好意をもたれるようになりますが、相手にしません。そして従兄の家に招かれたとき、ダーシーに正式に結婚を申し込まれますが、エリザベスは頑として拒絶します。しかしその直後ダーシーからもらった手紙を読むうちに、エリザベスは徐々にダーシーに対して偏見をもっていたのではないのかと思い始めます・・・
この小説は人間関係の機微をユーモラスに描いた恋愛小説です。別に何も起こらないのに、先が気になってどんどんページをめくっていってしまう不思議な作品です。全編にわたって概して明るく、ヨーロッパ大陸の作品のような深刻さはあまりありません。
この作品に対する概要の説明は他の学者がたにお任せして、私は自分が読んで感じたところを書き綴ってみたいと思います。
エリザベスは聡明な頭脳の持ち主ですが、家族、特に母親と末妹のリディアは手のつけられないおバカさん。舞踏会や食事会のときの母親や妹のバカな振る舞いにエリザベスは毎回顔から火が出るような恥ずかしい思いをさせられます。私も身内がその場の雰囲気にそぐわない言動を行うと恥ずかしくて穴があったら入りたい気持ちになることが多々あるので、この部分は大いに共感しました。まあ気が小さいといえばそれまでですが、自分自身も身内にとって恥ずかしい行動を知らず知らずにとっているのでしょうから、人のことは言えないです。
しかしエリザベスには父と長女のジェーンというよき理解者がおり、母親と末妹に手を焼きながらも、父とジェーンを頼りに生きていきます。
恋愛について少し脱線しますが、恋愛の初期段階においては、やはり話題が豊富でユーモアのある男は有利ですね。意中の女性を落とそうと思えば、こういう要件プラス尋常ならぬハイテンションが必要です。そしてスタートダッシュに失敗すると、最初はこちらを憎からず思っていた女性も紙くずのように簡単に私たちを見限ってくれます。そのショックたるや・・・。ある程度見知った仲から恋愛に発展する場合は、まだ救いようがあります。相手の女性は私たちのことを何がしか知っているからです。しかし出会ってすぐの女性を自分の方にたなびかせようとすれば、瞬発力は必要不可欠です。テンションの上げ下げに四苦八苦し、なんとかおもしろいことを言おうと格闘する男を見て、女性はただそれを見てるだけ。こんな男女間の力学、力関係が存在するのは日本だけだろうか、と一度調べてみたい気がします。
ところでこの小説の一番の見所は、人によって様々だと思いますが、私の場合、やはり求婚を拒絶した後、ダーシーからの手紙を読んだエリザベスの心境が変化するところです。彼女はダーシーからの手紙を繰り返し反芻することにより、自分がダーシーに対して根拠のない偏見を抱いていたことに気づきショックを受けます。そのショックはエリザベスの次のセリフに集約されています。
その一方でダーシーもエリザベスに求婚を拒絶されて、自分の普段の態度が高慢であったことに気づき、自分の浅はかさを痛感します。このように恋愛の過程で、両者がお互いの欠点に気づき、それを補うように成長していくところがこの小説の素晴しいところです。恋愛小説と冒頭で述べましたが、当然日本の二束三文のテレビドラマとは全く意味合いが違います。
タイトルの「高慢」と「偏見」という言葉がいろんな場面で、いろんな意味で使われているところがうまいなあ、と感嘆する作品でした。
【作品の背景】
ジェーン・オースティンは20歳そこそこでこの作品の草稿を書き上げた早熟の天才です。ただ生きた時代が古いため、他の文豪のように詳しい経歴はわかっていません。
『高慢と偏見』の草稿を作り上げたのが1796年から1797年の間、そして当時の出版事情があって実際に日の目を見たのは1813年です。この当時、ヨーロッパ大陸ではフランス革命の後、ナポレオンが登場して欧州を制覇する激動の時代ですが、オースティンは作中ではこうした政治的な事柄には一切触れていません。「人生は奇想天外な設定ではなく自分の身の周りにこそある」という彼女の哲学にしたがって作品が書かれたようです。
そして日本で紹介された経緯が華々しい。19世紀末に東京帝国大学で英文学の教鞭をとっていたラフカディオ・ハーン(小泉八雲)がオースティンを賛辞とともに紹介し、その後任の夏目漱石もまた『高慢と偏見』に最大級の賛辞を贈っています。
しかし世界的に見ればなかなか正当な評価を得られない時期が続きましたが、1954年サマセット・モームが書いた『世界の十大小説』のなかで、並み居る文豪の作品にまじって2番目に紹介されたことから、脚光を浴びました。
ラフカディオ・ハーンが講義で学生たちに「あなたがたにはオースティンのよさは理解できないのではないかと思う」と言ったそうです。私もこの小説のよさを三割程度も理解していないと思います。しかしそんなに深く理解できないでもいいから、是非とも若い方々にはチャレンジしてみていただきたいと願うしだいです。


