物語は主人公キャシーの一人称で進んでいきます。キャシーは優秀な介護人で、提供者の世話をしています。短いプロローグの後、突然キャシーのヘールシャムという施設での幼いころの回想に入ります。そのため、〈提供者〉とは何だ?という疑問が置き去りにされ、さらに〈ヘールシャム〉という施設は何だ?という疑問も生じます。これらの疑問は物語の本質にあたる謎になるので、読者はわからないまま話を読み進めていくことになるのですが、第7章で早々と明らかにされます。
この物語は精緻でリアリティのあるエピソードで全編が彩られています。それがこの小説の魅力であるのですが、それだけに〈ヘールシャム〉の謎についてはガッカリしました。その理由はこれから読む方がいると思うので行間をあけて下のほうに記載しますが、ヘールシャムについては、リアリティにあふれた世界に突然非リアルな異物が飛び込んできたような印象を私は受けました。たとえが変ですが、サザエさんの中にドラえもんが出てきたような違和感です。
しかしこの本は大変評判が良く、批判がましいことをほとんど耳にしたことがないので「私が年をとったため小説がおもしろくないのだろうか?こんな状態でおもしろい小説を書けるだろうか?」と不安になった一冊でした。
※これからこの本を読もうとされている方は、行間の下の部分は読まないでください。
リアリティの富んだ物語の中で、ヘールシャムのように臓器移植のためだけに誕生したクローン人間の子たちを育てる施設が存在する、というのはあまりに突拍子がないように感じます。この設定を成立させるには、かなり綿密に政治的・社会的背景を書き込んでおかないと全く現実味がないと思います。小説というのは荒唐無稽な話であっても、その話の中で論理が通ればいいわけですが、『わたしを離さないで』はこの論理の一貫性が無視されている感が否めませんでした。
もちろん本編の中ではヘールシャムとコテージ、そしてルースとトミーの介護をするキャシーの日常が描写されているだけで、これらの外の世界は何の記述もなく、記述がないのだから外の世界がどういう設定だろうが構わないだろう、と思う人もいるかもしれません。しかしそうであれば、ルーシー先生がヘールシャムの在り方に怒りをあらわにしているのは、逆におかしいと思わざるをえません。
そしてもう一つ不自然なのはヘールシャムの子供たちが自分が臓器を他人に提供して、間もなく死ぬということを当たり前のように受け入れていることです。クローン人間だろうがだれだろうが、死ぬのが恐いというのは人間の本能です。それを子供が簡単に受け入れているところにリアリティの欠如があり、物語の設定の大きな欠陥であると思います。



まず、つばささんがおっしゃるように外部世界の問題です。イギリスに限らず現在の先進国社会がヘールシャムのような存在を許容するはずが無く、それなりの説明が必要なはず。次に生徒の側。なぜ彼らは提供者になって死ぬことを従容として受け入れるのか。これにも納得できる説明が必要です。(例えばクローン技術には瑕疵があり寿命が30年ほどしか無いなど)
「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」で、アンドロイド達は(人工物にもかかわらず)人間と同じ権利と自由を求めて脱走し抵抗します。クローンとはいえ人間ならなおのこと。
ただ、クローン達が静かに死んでゆくことが物語に静謐さを与えより哀しく切ない感情が生まれるのかもしれませんが。