2012年12月15日

『人間の証明』森村誠一

 『人間の証明』は1976年角川書店より刊行されました。翌77年には映画化され、「読んでから見るか、見てから読むか」というキャッチコピーのもと、巷の話題をさらった作品です。77年というとさすがに私もまだ6歳であったため、リアルタイムに当時の状況を覚えているわけではありませんが、ぼんやりとこんな映画があったなあ、ぐらいの記憶は残っています。そして本作は森村誠一の代表作であり、今の若い方でもタイトルぐらいは聞いたことがあるのではないでしょうか。70年代を象徴する作品の一つであることは間違いありません。




【あらすじ】
 東京都心の超高層ホテルのエレベーターの中で、米国から来たジョニー・ヘイワードという黒人青年が胸をナイフで刺されて殺された。殺害現場に残された古い麦わら帽子、ジョニーがホテルに向かうタクシーの中で残した「ストウハ」という言葉、空港からホテルに向かうタクシーの中に置き忘れた西条八十の詩集、そして来日前「日本のキスミーに行ってくる」という言葉をアパートの管理人に残していること、これら少ない手がかりをもとに棟居刑事ら捜査陣は殺人犯を追う。

 この作品を成功たらしめた最大の要素は西条八十の詩であり、この点について異存のある方は少ないと思います。この詩が実に素晴らしく、作中で効果的に使われています。

〈母さん、僕のあの帽子、どうしたでせうね?
 ええ、夏碓井から霧積へ行くみちで、
 谿谷へ落としたあの麦稈帽子ですよ。

 母さん、あれは好きな帽子でしたよ。
 僕はあのとき、ずいぶんくやしかった、
 だけど、いきなり風が吹いてきたもんだから。

 母さん、あのとき向ふから若い薬売りが来ましたつけね。
 紺の脚絆に手甲をした。
 そして拾はうとしてずいぶん骨折つてくれましたつけね。
 だけどたうたうだめだつた。
 なにしろ深い谿で、それに草が背丈ぐらゐ伸びていたんですもの。

 母さん、ほんとにあの帽子はどうなつたでせう?
 そのとき傍で咲いてゐた車百合の花は、
 もうとうに枯れちやつたでせうね、
 そして、秋には、灰色の霧があの丘をこめ、
 あの帽子の下で毎晩きりぎりすが啼いたかも知れませんよ。

 母さん、そしてきつと今頃は
 今夜あたりは、あの谿間に、静かに雪が降りつもつてゐるでせう。
 昔、つやつや光つた、あの伊太利麦の帽子と、
 その裏に僕が書いたY・Sといふ頭文字を埋めるやうに、静かに、寂しく〉

 この詩は幼少の頃、母親と過ごした懐かしく美しい思い出の時間を描写したものです。男にとって小さいときに母と共有した楽しい思い出は、いくら年をとっても心の片隅に心地よく残っています。男は口ではぶっきらぼうなことを言いますが、母から受けた無条件の愛情を片時も忘れることはありません。ただ照れくさいだけなのです。そして自分の気持ちを素直に母親に伝えられないことに歯がゆさを感じます。男が母への愛情を詠った詩や楽曲は他にもたくさんある一方で、わが子を自分の手であやめてしまう母親のニュースも最近増えてきました。西条八十の詩はもしかすると理想なのかもしれませんが、それでもわが子をあやめた母親たちが幾ばくかの時を経たのち、必ずや己が罪深さを痛感すると私は信じたいです。それが彼女たちの〔人間の証明〕なのであり、実は本作のテーマでもあるのです。

 ところで映画版の方ですが、キャストをみるとそうそうたるメンバーが名を連ねています。主人公棟居刑事に松田優作、そのほかに岡田茉莉子、岩城滉一、竹下景子、三船敏郎、鶴田浩二等々。小説は2回読みましたが、映画はまだ見たことがないので、近々見たいと思っています。

posted by つばさ at 12:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 書評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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