2013年01月05日

天皇家について調べてみた

 私が今回の記事で天皇制について触れたのは、「天皇と革命」をテーマに小説を書いてみようと構想を練っているからです。そのため天皇家についていろいろ調べてみました。深入りするのは危険なテーマであることは重々承知しています。ただせっかく本を読んだので、その中で私がおもしろいと思ったエピソードを抜き出して、紹介したいと思います。
 領土問題、天皇制、憲法九条改正、沖縄米軍基地問題等々、素人が触れると火傷する、言い換えれば、日本人が感情的になってしまう問題がいくつかあります。私は今までこれらの問題をあえて避けてきましたが、天皇家について調べたことをきっかけに少し考えてみました。
 「天皇と革命」をテーマにすると書いた時点で、みなさんには私が天皇制についてネガティヴな意見をもっていることはすぐに推察いただけると思います。しかし私の周囲には天皇制を支持する人たちばかりいます。天皇を日本人のアイデンティティーととらえ、我が民族の尊厳を天皇と結び付けて考える人が多いようです。なぜこう考える日本人が多いのでしょうか?
 その原因はいろいろあると思いますが、ある本を読んで「ああ、なるほど」と思った意見に〈マスコミが天皇制批判をタブーにしてしまい、一般国民もまた、そういうことを言うと何か危険だという雰囲気に呑まれ、多くはなんとなく危険だというので、国民の80パーセントが、天皇制は今のままでいい、と答える〉というのがありました。確かにマスコミが皇室批判をするのを聞いたことがありません。マスコミが天皇家を“アンタッチャブルな聖域”にしてしまった結果、国民は無条件に天皇制を受け入れてしまっているように思えます。
 なぜ社会の木鐸たるマスコミが皇室批判をしないのか?
 残念ながら、私にはその理由がわかりません。ただ推察できるのは、宮内庁(あるいはその背後にあるより大きな国家権力)によって天皇家の情報がことごとく規制されているため、報道する材料がないのではないかということです。マスコミの皇族に対するインタヴューはその内容が事前に宮内庁にチェックされるので、皇族が記者の質問にアドリブで答えるような会見はないようです。
 そしてさらに言えば、宮内庁、国家権力による涙ぐましい努力によって、天皇家の人たちによる不祥事が発生していないことも批判がなされない理由の一つでしょう。私が若い頃、英王室のエドワード王子が海兵隊に入隊し、その勤務のあまりのつらさに逃げ出したため、マスコミからかなり叩かれたことを覚えていますが(英王室の男子は軍務に服するのが慣例)、日本の皇族はそのような批判の危険性をはらんだものに、自分からは近づけないようになっている気がします。このように皇族の人たちに行動の自由がないことも、私が天皇制をよく思わない一つの理由です。

 そして多くの人が天皇制を支持する別の要因として、象徴天皇制、ひいては日本国憲法そのものが、外国によってつくられたものであり、好ましく思っていないのではないか、ということが考えられます。先の大戦で負けていなければ、あるいは戦争をしなければ、さらにいえば世界大恐慌がなければ、天皇が現人神として、まだ日本に君臨し続けた可能性もあります。勝者の論理でアメリカに押しつけられた現行憲法について、天皇制支持者の人たちがおもしろく思わないのは私も納得できます。
 しかし日本人は米国批判をあまりしません。私個人としては中国や韓国だけでなく、沖縄の在日米軍基地問題をはじめとした米国による我が国への抑圧に対しても、批判の声をあげる必要があると考えています。

 私の政治観はさておき、『日本人なら知っておきたい「皇室」128のなぜ?』(松崎敏彌著、PHP文庫)から、天皇家について私が今まで知らなくて、かつ面白いと思った記述を抜き出してみました。




○天皇に基本的人権はない
《天皇家の人たちには選挙権・被選挙権がない。戸籍もない。天皇個人に関していえば職業選択の自由もない。つまり彼らは基本的人権の枠外にある》
 天皇は自分の意志で退位することすらできず、死ぬまで天皇です。

○皇族男子の結婚・離婚
《皇族男子の場合、皇室会議の決定がなければ結婚することができない。ましてや離婚など、とうてい皇室会議が認めると思わないから無理ということになる》
 皇族女子についての記述はありませんでしたが、黒田清子さんの結婚を見ていると、結婚については男子の同じような気がしました。離婚についてはわかりませんが、皇籍を離脱するため、理屈の上では可能なのでしょう。

○天皇家と学習院
《皇族の人たちがみな学習院に進学するのは、「皇族は学習院へ」という不文律が古くからあって、特別の希望がある場合以外、皇族の子弟は学習院へ進むことになる。
 学習院は元々公家の子弟のためだけに、江戸時代、京都に創立された学習所である。明治2年、版籍奉還によって公家が華族に改められ、彼らが東京に住むようになると、明治10年、東京に華族学校が設立され、学習院の名前が明治天皇によって、この華族学校に下賜された。明治17年、学習院は宮内省直轄の官立学校となり、皇族・華族の子弟の教育にあたったが、昭和22年の宮内省の解体により私立学校となり、一般の人々の子弟も入学できるようになった》

○免許取得も特別扱い
《天皇家で運転免許をもっているのは天皇と秋篠宮の二人だけ。免許証は一般のものと同じ。教習は、警視庁の担当係官が皇居に参上して行われ、実地試験に関しては、天皇は鮫洲の試験場、秋篠宮は府中の試験場で特別に実施された。美智子皇后も免許を取ろうと、御用地内の芝生の空き地にかなり本格的な専用の練習コースを作り、警視庁の運転免許試験場から出張してきた教官の指導のもと、じっくり練習したが、公務が多忙で、かつ路上教習の安全性の確保の難しさがあり、断念した》

○週刊誌の記事は天皇家の人たちも読んでいる
《天皇家の人たちも自分たちについて書かれた女性週刊誌などの記事をきちんと読んでいる。すべてというわけではないが、夜九時になると、一家が居間に集合してコミュニケーションを図る必要があったので、そのときなどに、一緒にページを繰りながら、記事のことを話題にする習慣があったようだ。
 皇太子は、お妃候補の記事を読んで、学友に「ぼくの知らないうちに、‘本命’が次から次へと変わっていくんですよ」と苦笑していたという》

○新しい物好きの天皇陛下
《天皇陛下はパソコンを愛用しているそうである。和歌をパソコンでうって詠んでいる。同様に、皇太子も歴史学研究の資料整理などにパソコンを駆使しているし、秋篠宮夫妻もパソコンを愛用している。天皇は新しいものが大好きで、カメラに凝ると、新機種が出るたびに取り寄せたり、また、どんどん新しいものにも挑戦している》

○昭和天皇の電話にまつわるエピソード(今上天皇は自分で電話をかけるが、昭和天皇の時代は侍従が用件を取り次いでいたらしいです)
《かつて、昭和天皇がみずから電話をかけ、一般市民を慌てさせるというエピソードがあった。
 二・二六事件(昭和11年)の翌日のことである。当時の麹町署の署長室の非常電話が鳴った。たまたま居合わせた大串宗次巡査が電話を取ると、「ヒロヒト、ヒロヒト・・・」とせわしげにいう声がする。
 電話は一方的に切れ、不思議に思っていると、その後、侍従の取り次ぎで、昭和天皇からの電話を受けた。先の電話は、事件を心配した天皇みずからが、状況を知るためにかけられたものだった。
 当時のこの巡査の驚きは、われわれの想像以上であっただろう。名前を問われて、つい「麹町の交通でございます」などとトンチンカンな返答をしてしまったくらいである》

○天皇家の中でのお互いの呼称
《天皇・皇后両陛下は、子どもたちのことを浩宮(または「ナルちゃん」)、礼宮(または「あーや」)、紀宮(または「さーや」)と呼んでいた。浩宮様たちは、天皇陛下を「おもうさま」、皇后陛下を「おたたさま」、昭和天皇のことを「おじじさん」と呼んでいたし、皇太子になってからは、天皇・皇后両陛下を「父」「母」とか「両親」と友人に紹介している。雅子様や紀子様は、皇太子や秋篠宮のことを「殿下」と呼んでいる。
 皇太子が学習院にいたころは、教師が皇太子のことを小さい頃は「宮さま」、そして中等科くらいからは「殿下」と呼んでいた》
 塾講師の経験からいうと、生徒を「宮さま」とか「殿下」と呼んでいると、つけあがって言うことを聞かなくなります。
 昭和21年に今上天皇が皇太子時代、昭和天皇が皇太子のために、家庭教師としてアメリカ人女性をつけたそうです。その家庭教師は当時の皇太子のことを「ジミー」と呼んでいたらしいのですが、なぜ「ジミー」なのか意味がわからないので吹き出してしまいました。たぶんその家庭教師も、皇太子といえど敗戦国の人間だとあなどっていたのでしょう。

○天皇陛下の楽しみ
《かつて天皇陛下はよくマージャンをしていた。
 誕生日などに友人を招いたとき、たまに天皇陛下は卓を囲んで、友人たちとマージャンを楽しんでいた。もちろんお金など賭けないが、なかなか勝負にはこだわるほうで、負けると「もう一回」とチャレンジすることもあったという。マージャンのタイプとしては、かなり手堅いほうで、カンチャン待ちを嫌い、待ちはいつも両面。相手がリーチをかけると、すぐに降りてしまう。手はタンヤオやピンフが多く、大物狙いもしない。だから大勝ちはしないが、大負けもすることがなかった。
 愛読書は『チャタレイ夫人の恋人』。しかしなぜかその感想は「たいしたことはないね」だったらしい》
 マージャンはしないのでよくわかりませんが、『チャタレイ夫人の恋人』は読んでみたいですね。

 以上私が気に入った天皇家のエピソードの抜粋でした。
 本を読んで痛感したのは、天皇家の人たちがあまりに自由を制限されているということです。かわいそうになりました。天皇制については、制度的な側面プラス、天皇家の人たちの人権という観点からも見直したほうがいいと考えます。
 今現在、我が国では天皇制支持者が圧倒的多数ですが、その支持者は高齢の方が多いです。今の若い世代が高齢化したとき、果たして天皇家は支持され続けるのか、いろんな意味で興味があります。
 また天皇家の人気の大きな要因の一つとして美智子皇后の存在があると思います。美智子様がいなくなると、雅子さまへの不満がそのまま天皇家への不満につながる可能性もありますし、女性・女系天皇云々の議論がそのまま天皇家崩壊への序曲となりかねないでしょう。天皇家への国民の支持が一枚岩でなくなるからです。

 とにかくまだまだ天皇家に関する本は読んでいきますので、おもしろいネタがあれば、また天皇家の記事の続編をご紹介するかもしれません。天皇家についてはあまりに謎の部分が多いのですが、天皇は国の象徴であるのですから、もっと国民にその情報を公開をすべきだと私は思います。
posted by つばさ at 23:38| Comment(2) | TrackBack(0) | 随筆 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
太平洋戦争に負け、無条件降伏をした日本はあれほどまで護持にこだわってきた国体を失いました。原爆は落とされ、自主憲法の道さえも奪われた。でも、本来は戦犯であるはずの天皇を守るだけでなく、天皇制を保持してくれたという恩がアメリカに対してあるのだと思います。
天皇制はその時々の権力者によって利用されてきたにしろ、ずっと太古の昔から存続してきたものとして、仮に神話や伝説の類であろうと、日本人をアイデンティファイするものとしてしっくりくるのでしょう。
制度の見直しは民主主義の観点から私も賛成なのですが、日本の「象徴である」という概念も日本の風土にすでになじんでいるようにも思えます。
Posted by minebi rimei at 2014年03月22日 06:38
コメントありがとうございます。
天皇制というのは非常に難しい、センシティブなテーマですね。minebi rimeiさんのおっしゃるように、すでに日本の風土になじんでいるため、 多くの国民が天皇制を支持する反面、私のように基本的人権・民主主義という観点から見るとおかしいと考える人間もいます。またminebi rimeiさんご指摘のように占領軍のご都合主義に振り回されたという経緯もあり、たかだか私のような人間がブログで触れるには重すぎる問題であります。もっとこのテーマを深く勉強して多くの国民に納得していただけるような見解をもてるようになりたいです。
Posted by つばさ at 2014年03月22日 14:21
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:


この記事へのトラックバック
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。