2013年01月23日

『習近平と中国の終焉』富坂聰著 角川SSC新書

『習近平と中国の終焉』(富坂聰著、角川SSC新書)を数日前に買って読みました。書店の新書コーナーの「新書売上第10位」の棚に置いてあり、タイトルに惹かれながらもあまり期待しないで読んだのですが、非常に面白かったです。私は他の人と同じように気に入った、あるいは重要だと思った箇所に赤線を引いたり、書き込みをしたりするのですが、この本は真っ赤になってしまいました。
 中国現代史に関しては、ある程度知識があって、文章がうまければ誰が書いてもおもしろいのではないか、と思うほどダイナミズムに富んでいます。日本では考えられないような権力闘争があったり、超人的な政治家(毛沢東、ケ小平など)が現れたりして、外から見る分には全く飽きないです(これが自国であったらたまりませんが)。




 まず筆者は現在の中国という国に関して「誰もが〈実像〉をつかみかねている」として、それは「中国が恣意的に行っていることである、彼らは不透明性を武器に自国を守ろうとしており、本当の姿をあえてみせようとしない」と述べています。彼らは言葉を尽くしてその政策を説明することはなく、尖閣諸島問題についていえば、日本の不当性をただ非難するだけです。もし武力衝突の可能性が生じても、本当に武力を行使するのか、国際法にのっとって問題解決をしようとするのか、それすらわかりません。本書で筆者は内部からの視点をふんだんに盛り込んで、中国の実情を明らかにしようとしています。

【薄熙来事件】
 2011年11月、重慶市のホテルで英国人実業家ネイル・ヘイワード氏が変死し、共産党幹部の妻が事件になんらかの関係がある、という報道をみなさんよく覚えておられると思います。その党幹部が薄熙来です。
 薄熙来は野心に満ちた政治家でした。彼は虎視眈々と胡錦涛―温家宝の後釜を狙っていました。ところが2007年10月の十七大(中国共産党第17回全国代表大会)で自分が政治局委員として重慶市書記という閑職にまわされ、出世コースからはずれたことを知ります。中国共産党員は全国に8260万人もおり、その中からたった25人しか選ばれることのない政治局委員になっただけでもわれわれは凄い、と思うところですが、野心家の薄熙来は党人事に見切りをつけ、直接大衆の支持を得る行動にでます。その一つがマフィアの取り締まり作戦でした。
 党執行部・幹部のほとんどは民間企業と何らかの形で癒着しており、汚職が蔓延し、マフィアとのつながりについても例外ではありません。したがって、通例マフィアの取り締まりは一定の成果をあげたところで打ち切ってうやむやにするのですが、薄熙来はマスコミを巻き込んだ一大キャンペーンを展開し、マフィアの黒幕として重慶市の警察官僚である、公安局副局長を逮捕し、処刑しました。
 かねてから役人の汚職に苦々しい思いを抱いていた一般国民は、薄の快挙に大喝采をあげ、彼は一躍中国全土のスターダムにのし上がります。
 また一方で薄は、党執行部にとってタブーであった格差問題にも手をつけます。「唱紅」という革命ソングを歌う運動を通じて、「古き良き共産党の伝統を思い出す」という政策を推進しました。
 この「唱紅」という政策にどんな意味があるのか?
 「唱紅」を通じて昔を思い出し、「あの頃はみんな貧乏だったが、幸せだった」という懐古から、現在の格差社会・改革開放路線を批判し、毛沢東の時代のガチガチの社会主義への後戻りを画策したのです。金持ちは全国民のほんの一握りしかおらず、国民の大多数である貧困層は、この政策においても薄を支持し、彼の名声は不動のものになりました。
 この2つの政策を通じて、薄の名声は全国区に広がり、彼こそ国のリーダーになってほしい、という声が国民の間からあがるようになります。
 もちろん薄のこの政策は、党執行部には受け入れがたいが、国民の声を無視できないと考えているところへ、ヘイワード変死事件が持ち上がったのです。この状況では、党執行部が何か陰謀を図って、薄を陥れたのではないか、と勘繰りたくなるのが人情ですが、筆者はそうは考えていません。
 ヘイワードは薄家の金庫番をしており、金銭上のトラブルから薄の妻に殺されたというのが真相のようです。ヘイワード殺害から数ヶ月後、薄は重慶市公安局長の王立軍からヘイワード事件の真相を聞かされます。王立軍はマフィア撲滅作戦において、薄の右腕として活躍した警察官でした。話を聞いた薄は、王立軍が自分を脅迫しているのではないか、と勘違いし、慌てて王を重慶市副市長の閑職に回します。すると身の危険を感じた王は、四川省成都のアメリカ領事館に亡命を求めて逃げ込みます。結局成都市長の説得に応じて、王は領事館から出てきましたが、王の供述で事件の真相が明らかにされ、薄は中国政界から姿を消しました。
 この薄熙来事件だけで、へたなスパイ映画より何倍もおもしろいです。一党独裁という特異性からか、中国では過激で、あるいは面白い事件が次々と発生します。
 そんなことはどうでもいいですが、これで一番ほっとしたのは、共産党執行部でしょう。薄熙来には大衆を動かす力がありました。大衆を扇動して動乱でも起こされれば、文化大革命のときのように中国社会が混乱に陥った可能性は充分にあります。文化大革命で中国の進歩は何十年も遅れたと言われていますし、そもそも現在の指導者たちは文革の被害者ですから、同じような騒動を2度と繰り返したくなかったはずなのです。

【習近平総書記】
 タイトルに習近平とついていますが、習近平自身については特におもしろい記述はありませんでした。彼は二世ですが、父親は文化大革命で強制収容所へ送られており、習近平自身も13歳のとき、学校で文革批判のようなことを口にしただけで、収容所に送られています。そして彼はここで相当つらい経験をしたそうです。1974年に共産党に入党してから、人生が上向きになり、文革終了後、父親も復権しています。習近平は一応二世になるのですが、日本の二世政治家のように、実社会をまるで知らないボンボンのアマちゃんと違って、人間の極限の世界を体験してきていますから、精神に筋金が入っているでしょう。我が国の安部某のような使い物にならない屑とは全く別次元の地獄を体験しています。この人は敵に回したら手ごわいと思います。
 中国共産党で出世する人材に必ずついて回る特徴として「低調」という言葉があるそうです。これは日本で言う仕事人的な意味で、地味だが堅実というニュアンスで、端的に言えば上司にさえ評価されれば、外のことなどどうでもいいと割り切ることです。国民の要求ではなく、党という組織や上司の要求に過不足なく対応して信頼を得ることが評価のポイントとなります。つまり、「国民の人気を得る」というような発想は本来共産党員にはうまれないものなのです。共産党幹部にとっては西側のような価値観は取り入れがたいものであり、低調という価値観は超えられない高い壁だったのです。
 この伝統の中で最もリーダーに適した人物と見做されたのが、習近平であったのです。
 逆に低調という価値観の壁をいとも簡単に飛び越えたのが、薄熙来でした。彼も元々は低調という価値観の中から立身出世を目指していたのですが、出世の道が断たれるや、国民の支持を得るという、それまでの伝統を打ち破る政策に賭けたのです。
 それから本の冒頭の「はじめに」で筆者が共産党内での権力移譲について興味深いことを述べています。
「中国における政権交代は西側の政権交代と意味が違う。選挙という手続きを経ない〈権力移動〉は、常に共産党内での連続性のなかにある。それは、政策の抜本的な変換点を意味しない。新政権の誕生によってそれまで譲れなかったことが譲れるようになるという期待はできないのである。
 つまり、習近平の中国がどこに向かうのか、その答えの大半は共産党という価値観のなかにあり、共産党政権が歩んできた歴史の連続性のなかにこそある。その意味で習近平が共産党総書記になっても、指導者としての裁量は限られていると考えるべきだろう」
 中国の政治は、実権を持っている執行部の意向だけでは動きません。長老と呼ばれるかつて実権を握っていた人たちが、いまだに政治に影響力を行使しています。胡錦涛―温家宝まではケ小平が、その人事を支配しており、習近平は初めてケ小平の影響力のかかっていない総書記なのです。かといって習近平が奇抜な政策を行うことはありません。尖閣諸島の問題も今までと同じように存在し続けるでしょう。それは習近平個人の裁量を超えているからです。ある意味で彼らは政治家として、個性を殺しているといえるかもしれません。

【所得格差と社会保障制度】
 中国におけるごく一握りの富裕層と貧困層の格差の問題が持ち上がってきたのは、2000年代半ばからだそうです。国が改革開放路線を進めるに従って、富めるものと貧しきものの格差が出現するのは、資本主義の原理を採用している以上やむを得ないことです。
 格差の実例を挙げると、大手国有会社の中国海洋石油総公司の平均年収は約464万円、それに対して、都市部の公務員の平均年収が約44万6000円、民営企業が約24万9000円となっているそうです。その差は歴然としています。この不満、不公平感が今圧倒的多数の中国庶民の間で渦巻いています。今社会を支配しているのは、社会主義的な平等ではなく、自由競争が生んだ格差であることは、実に皮肉なことです。
 また所得格差以上に解せないのが、社会保障制度です。中国の勤労者のなかでも、レストランのウェイター、ウェイトレス、ショップ店員などは、医療保険制度の庇護がなく、日本で言う年金もありません。こういう人たちが風邪で病院に行けば、一回約7200円もの治療費をとられるそうです。
 また医療保険制度のある会社にしても、日本のように3割負担、ということではなく、たとえば、かかった医療費の総額が12万円を超えれば、それ以上は保険が適用されるというお粗末なものです。
 社会主義国家には、理論的には貧困も階級格差もないはずです。党執行部は今まで何をしていたのだろう、と他国のことながら腹が立ちます。さらに社会主義の根幹である社会保障制度が反故にされていることについては、あきれてものが言えません。
 筆者は「中国に混乱が生じていないのは、圧倒的多数の庶民層の忍耐力に支えられているからといっても過言ではないのである」と述べていますが、これは大きな皮肉でしょうね。

【中国の今後】
 今まで見てきたように中国国民の間には、共産党への巨大な不信感が募っています。いつ国民の怒りが爆発するか、わかったものではありません。現にデモの件数も年々増えているそうです。当然革命が起きても不思議ではありません。
 筆者も以下のように述べています。
「中国で持たざるものたちが起こす騒ぎは、なぜか政治的な行動に発展しないという特徴がある。それゆえ暴動は一過性で、自分たちの不満に対して何らかのリアクションがあれば収まり、根本的な原因の排除に向けて、国に要求をぶつけて闘うところまでには発展しない。怒りが長続きしない理由は、群衆を指揮するリーダーがいないからである。
 これは逆から考えれば、彼らにもし政治性を与えることができるリーダーが出現して先頭に立つような事態に至れば、党中央にとって非常に厄介な状況が生まれることを意味している」
 私もこの意見には全く同感です。そして筆者は薄熙来がそのリーダーに立とうとしたのだ、と述べています。

 また民主化についてですが、われわれの共産党に対する残虐なイメージからして、国民を押さえつけているのではないか、と思われがちですが、実は共産党は民主化をする準備をすすめているそうです(本書では広東省を例に挙げて民主化の取り組みを紹介している)。
 そして中国の為政者が一番恐れているのは、大衆であることをわれわれ外国人は意外に見落としているようです。中国には「貧すれば、民、乱を思う」という言葉があるぐらいです。しかし今党主導で行われている民主化は、あまりに速度が遅く、進んでいるのか、いないのかわからないほどです。だから重慶での薄熙来の急進的な改革が、国民の圧倒的な支持を得たのです。
 民主化が遅れることによって、共産党指導部が恐れているのは、我が身を襲うかもしれない責任追及です。中国社会の矛盾の責任の矛先を自分たちに向けられること、これ以上の恐怖はありません。ただ本書では触れられていませんが、現在の党指導部は文革の被害者であり、天安門事件の加害者なのです。もし民主化が進んで、天安門事件の真相が明らかになれば(天安門事件については死者数さえ正確につかめていない)、それはそれでまた指導部の恐怖だと思います。天安門事件のとき実質的な権限をもっていたのは八大元老と呼ばれる人たち(トップはケ小平)で、このメンバーの中には、習近平、薄熙来の父親も含まれています。もちろん本人たちもそれぞれ政府の要職についていたでしょうから責任は追及されるでしょう。
 革命が先か、党による上からの民主化が先か、どちらにしても中国が今のねじれを抱えたまま国際社会に存続することはあり得ないでしょう。

posted by つばさ at 06:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 随筆 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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