2013年03月18日

『国家の品格』藤原正彦著 新潮新書

 この本は2005年に刊行されたもので、相当売れたようです。私ははやりものが嫌いなので、そのときは読みませんでしたが、先日あらためて本屋をぶらついていると、この本の帯に「熱い共感を呼ぶ画期的日本論」と書いてあったので、興味をそそられ、買ってみました。

 著者は数学者で、本書は著者の講演原稿を大幅に改稿して発行されたものです。なぜ数学者がこんな本を書いたのか非常に不思議です。内容を大雑把に言えば「日本ほど素晴らしい国はない!」という日本国礼賛の書でした。
 私も日本人であり、誰よりも祖国を愛しているという自負がありますが、この本はしっくりきませんでした。相性が悪いのかもしれません。英米を痛烈に批判しているところなどは私の見解と一致するのですが、「日本を見習え」という他国を上から見下ろしたような記述に終始し、話があちらこちらに飛び、おかしな描写が多く出てくるので、薄い本ですが、少々読むのが苦痛でした。

【国語学習の重要性】
 私が本書で一番共感したのは「他国のことを理解するには、まず自国のことをきちんと知らなければならない」という主張でした。もっともこの論は昔どこかで聞いたような気がするのですが・・・。
 今日本では小学校から英語の授業を子どもに課していますが、これはあまりいいことではないそうです。わが国ではもっと国語教育を充実させて、読書をさせるべきだというのです。なぜなら表現する手段よりも、表現する内容の方がはるかに大切だからです。なまじ語学をかじって、内容のない話をすると他国の人からバカにされるそうです。本書では世界のトップ・エリートの例を出して、英国人から日本の歴史・文化の深いところをつかれた商社マンの話がでてきます。英国人は人を試すという陰険なところがあって、相手が自国の文化について正しい知識をもっていなければ、次から家に呼んでもらえないそうです。「この人は文化のわからないつまらない人だ」となって、商談も進まなくなって困るようです。
 物事を考える土台として、母国語をきちんと学習する。そして語学は片言でもいいから、人より深く知り、考えることを本当の国際人は求められているのだということを我々は肝に銘じておいた方がいいですね。

【自由・平等・民主主義を疑う】
 私が何年か前に読んだ本に、「人間にとって選択の自由があるということは実は苦痛なのだ」ということが書いてありました。なぜ車の色はせいぜい4色ぐらいしかないのか?もしメーカーが256色も用意していたら、どの色を選ぶか買い手が苦痛を感じるから、色は少なくしているのだそうです。小説『カラマーゾフの兄弟』の中の〈大審問官〉という章にも、イワンがキリストによって民衆に与えられた精神の自由に、彼らがいかに苦しんでいるかを論ずるシーンがあります。
 しかし筆者が言及する自由は、上記とは異なります。自由は「身勝手の助長」にしかつながらなかった、と述べています。さらに人間は法律にがんじがらめになって、自由などというものは、しょせん欧米の思想家が作り上げたフィクションに過ぎないとも断じています。

 自由という概念の受け取り方は千差万別であり、筆者のように考える人がいても不思議ではないのですが、平等に関する解釈は私のものとは違います。筆者は自分に絵の才能がないこと、中高6年間サッカーを続けたがベッカムの足元にも及ばないこと、女性に全くモテないことを挙げ、人間の不平等を嘆いています。しかし以前の記事でご紹介したとおり、私は人間の持つ才能の総和はすべて等しいと考えています。ペーパーテストができなくても、ユーモア満点の人がいたり、スポーツができなくても音楽の素晴らしい才能をもっている人もいます。この著者も東大に入学して数学者となり、学会でいろんな功績を残しているはずで、こんな本だって出版できています。どこに才能の不平等をかこつ理由があるのでしょうか?試しにベッカムに高等数学の勉強をさせてみればいいのです。

 最後に民主主義についてですが、憲法に記されている通り、われわれは自分たちが国の主権者であり、民意が政治を動かすことを国民として当然の権利と考えています。しかし筆者は「主権在民には国民が成熟した判断をすることができる≠ニいう大前提がある」と述べ、〈成熟した判断のできない〉国民の意志のまま政治を行えば、必ず戦争をしたがると断じています。その例として筆者は第一次世界大戦を挙げています。セルビア人青年がオーストリアの皇太子を暗殺したことからこの戦争ははじまったわけですが、彼の意見では「主要国の間にはそもそも、領土問題もイデオロギー問題もほとんどなかった」が、皇太子暗殺事件を諸国民が過剰に騒ぎ立てて戦争になってしまったのだと・・・。これは間違い。大間違い。
 当時帝国主義段階に入っていたヨーロッパ列強はアジア・アフリカで熾烈な植民地の争奪戦を繰り返していました。オーストリア皇太子の暗殺は戦争の単なる引き金であり、戦争の火種はあらゆるところでくすぶっていました。領土問題がからまない戦争などほとんどないでしょう。
 さらに民主主義についておかしな主張は、ワイマール共和国とヒトラーについてです。ワイマール共和国は第一次大戦後ドイツに誕生した民主主義国家ですが、ヒトラーが台頭した原因はワイマールの民主主義にあると分析しています。国民に主権があるからヒトラーのような化け物が台頭したのだと。
 これも間違い。大間違い。ヒトラーは当初は地方の極右組織の単なる頭領でした。しかし1929年世界大恐慌がおこると、ドイツは天文学的なインフレに見舞われ、経済が麻痺してしまいます。飢餓に苦しみ、正常な判断力を失ったドイツ国民は、ドイツ民族のバラ色の未来を謳うヒトラーに祖国の将来を委ねてしまったのです。したがってヒトラーの台頭を分析する場合、民主主義云々で論ずるのは見当違いです。

【論理の限界と日本の伝統】
 ここまで触れませんでしたが、筆者は論理づくめの社会の限界を指摘しています。現実社会は数学とは違い、白か黒かではなく、グレーの要素で構成されています。したがって数学のようにtrueかfalseか2者択一の解決ではなく、その中間の対応を迫られます。それが現代世界の直面する苦境の原因だそうです。
 筆者はその方策として、日本に伝統的に存在してきた美的感受性や情緒を大切にして、育み、それにプラス精神の拠り所として、武士道の道徳の基準を据えることを提案しています。
 しかし私にはなぜ日本の伝統的な美的感受性や情緒が、論理によってぎすぎすした国際関係を取り持つのか、理解できませんでした。筆者がスタンフォード大の友人を自宅に招いたとき、その友人が秋の虫の鳴き声を「あのノイズはなんだ?」と言ったのを聞いて「なんでこんなやつらに戦争に負けたんだろう」と思ったそうです。これは完全な自己の価値観の押しつけですね。全体的に日本のものを「是」とする筆者は、日本的な価値観のわからない外国人をバカにしているようです。
 そして武士道精神ですが、「強きをくじき、弱きを助ける」に代表されるような「卑怯な真似をするな」「弱い者いじめをするな」というようなモラルを国家がもつよう唱えています。そして第2次大戦直前ナチス・ドイツと同盟を結んだことを武士道の退廃といい、日中戦争を弱い者いじめと断じています。
 しかしよく考えれば武士道というのは、武士として鎌倉から江戸時代にいた戦士、つまり個人の訓戒であり、それをそのまま国是とするのは無理があります。なぜなら1億2000万人の日本国民の総意が必要だからです。日本人にも残念ながらクズのような連中が山ほどいます。そういった連中に理想論を押し付けても、それを悪事に利用するだけでしょう。あらためて国家の運営は難しいと感じざるを得ません。

【将来のわが国の在り方】
 最終章では、日本の今後の在り方について述べられています。著者は得手勝手な持論ももちだしていますが、やはり私も日本人が世界中で胸を張って歩けるような時代を夢見ています。日本から当たり前のようにノーベル賞受賞者が毎年輩出され、できれば100年に1人と言われるような天才が現れてほしい。そして国民1人1人が高いモラルをもって行動し、日本が世界に冠たる国家となるよう私たち大人が、子どもたちに正しく生きる規範を示していかなければならないと思います。


 最後に水を差すようですが、この本は話の脈絡がなく、論理の一貫性もありません。なぜこの本が250部も売れたのか首を傾げたくなります。著者は数学者で国立大の教授なのですから、文学や芸術に親しむ時間などないと思うのですが。
 とにかく消費者の動向というのはわからないものです。タイトルがよかったんですかね・・・。それから新潮新書は私の経験から言うと、あまりいい本がないです。

posted by つばさ at 01:05| Comment(0) | TrackBack(1) | 書評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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父の威厳 数学者の意地
Excerpt: 国家の品格の藤原正彦の本なのだが、最近読んだ本の中で最もくだらない本であった。途中で読むのをやめようかと思うほどに。国家の品格は読んだことが無いが、今後読むことはないであろう。抜き出した文章もほとんど..
Weblog: 投資一族のブログ
Tracked: 2013-04-05 21:10
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