したがって両親は5月中旬に皇居に行き、春秋の間で天皇に拝謁します。私は以前の記事でもお伝えしたとおり、天皇制に対しては否定的な考えをもっていますが、両親にそんなことは関係ないので、素直に楽しんできてほしいと思います。ただ美智子様は列席しないので、美智子様世代の母は残念そうでした。
皇居に行くこともそうですが、私の両親は生粋の田舎者で今まで東京に行ったことがありません。私が学生時代、東京に住んでいたので、何度も来いと言いましたが、卒業式さえ来ませんでした。だから東京へ行って果たして帰ってくることができるのか、非常に不安です。
実はサラリーマン時代、私は人事関係の部署にいたので、入社1年目のとき、工場のある職人さんが叙勲の対象になるという話が県庁から会社に打診があり、その書類作りをさせられたことがあります。職人さんにいろいろインタビューをして、書類を作成し、当時会社があった県の県庁の担当者のところへもっていって協議をするという毎日がしばらく続きました。このときが私が叙勲とかかわりあった最初の機会だったのですが、その職人さんは素晴しい方でした。歳は私の両親より少し上で、当時は定年退職をして嘱託で勤務しておられましたが、インタビューをするたびに勉強になることがあり、しかもユーモアがある方だったので、話がとても楽しかったです(昔のことなので具体例を覚えていないのが残念です)。叙勲にふさわしい方でした。
逆に県庁の担当者とのやりとりは苦労しました。メーカーに勤めていたので、図面を交えて職人さんの業績を書類にまとめるわけですが、「こんな汚い図面ではダメだ」と散々嫌味を言われて、何度も書類を作り直して県庁に参内しました。それでも気に入らないと翌日県庁から会社にファックスが届いており、送信時間を見るとほとんど夜中の2時とか3時でした。「あの人はいつまで働いているんだろう」と当時は不思議でたまりませんでしたが、結局公務員はまるまる残業手当がつくので、あんな無茶苦茶な勤務をしていたようです。今頃は肝臓を傷めるか、うつになって入院しているのではないでしょうか。とにかく職人さんが勲七等瑞宝章をもらえるはこびになったので、ほっとしました。
この一連の業務を通じて知ったのは、叙勲・褒章というのは誰か信頼できる人が推薦してくれないと、授与対象にあげられないということでした。自分だけが「おれはすごいんだぞ」と威張っていても、勲章など永遠にもらえないようです(苦笑)。
【警察官は大変】
私の父は前述のとおり元警察官だったので、その日常生活の中で警察官の大変さがよくわかっています。特に自分がのんびりとサラリーマンをしているときは、「警察官にならなくてよかった」とつくづく思いました。
高校生のときまで、家で寝ていると、真夜中に電話がなることが頻繁にあり、そのたびに親父は夜昼となく出勤していました。当時は警察官舎という狭くて汚いアパートに家族5人で暮らしていたので、黒電話がなると必ず起こされて、「ふざけんなよ」と一人で毒づいていました。
だからといって私は親父を尊敬しているわけではありません。むしろ憎悪しています。仕事は大変だったのでしょうが、親父は大変な内弁慶で、家族を家来か召使のようにしか考えていません。私が幼少のときはDVも酷かったです。DVが臨死体験になったことが何度かあります。
また家族とまともに会話をしないので、親父がどんな仕事をしていたのか、当時は全くわかりませんでした。
このように私は物心ついたときから、父親に憎しみを抱いており、だからドストエフスキーの作品に共感をおぼえるのだとおもいます。
【警察官の序列】
先述した「県警本部長」というのが警察組織でどのぐらい高い地位なのかを知っている方は少ないと思います。ただ最近は『踊る大捜査線』の大ヒットで警察組織についての一般の認知度がかなり上がっているので、ご存知の方が多いかもしれません。県警本部長は単純に言えば、警察庁長官、警視総監、警察庁次長に次ぐナンバー4で、各道府県警察のトップです(ただしナンバー4は他にもいます)。警視総監というのは警視庁のドンです。警視庁は平たく言えば「東京都警察本部」ということになりますが、首都防衛という重責を担っているので、堅苦しい名称がついています。各道府県警も都会ほどランクが若干高くなります。
ここで他の国家公務員との警察トップの禄高も比較してみます。
1位:東大・京大総長(もちろん東大総長の方が上)
2位:警察庁長官、各省の事務次官、会計検査院・人事院の事務総長、内閣法制局・宮内庁の次長、北海道・東北・筑波・名古屋・大阪・九州の6大学の学長
3位:警視総監、千葉・東京工業・一橋・新潟・金沢・神戸・岡山・広島・長崎・熊本の10大学の学長
※注1:総理大臣・国務大臣・政務次官などは特別職国家公務員とされて別扱い。
※注2:国立大学は独立行政法人となったため、この序列が現在も適用されるかどうかは不明。かなり古い本を参照しておりますので・・・。
国家公務員の禄高ランキング上位はこのようになりますが、当然一流商社や銀行の幹部と比べると、報酬はガクンと落ちます。しかし私が参照した本(『日本警察の解剖』、鈴木卓郎著、講談社文庫、昭和63年発行)によると以下のような記述があります。
こうしたエリート官僚たちは薄給のサラリーマンと違って、給与の金額を気にしている人はいない。しかし誰もが、給与ランクの意味する勤務評定やポストにだけは、想像以上に敏感である
エリート官僚たちは、給料が安いのは承知の上で、必死で勉強して国家公務員T種試験を受けています。それは彼らはエリート官僚(キャリア)になることでもたらされる極上の社会的ステータスを求めているからです。もっとも退職後は高給で民間企業に再就職します。世間ではこれを天下りと批判しますが、民間企業からの要望が強いのも確かです(わたしの親父も定年退職後小さな会社に数年勤めました)。
【警察庁長官としての後藤田正晴】
若い方はご存じないかもしれませんが、後藤田正晴氏は80年代のもっとも著名な政治家の一人といえます。彼の出身母体は旧内務省、警察庁であり、長官まで登りつめています。長官経験者としてはもっとも有名な人でしょう。
警察庁長官の権力がどれぐらいすごいのかは、後藤田氏の次の発言でわかります。
まあ、長官、総監に比べれば、大臣なんて、つまらねえよ、ホント
(私は彼が「総理大臣より警察庁長官の方がおもしろい」と言ったという記述をどこかで読んだような気がするのですが、見つかりませんでした)
後藤田氏の長官任期は昭和44年8月から昭和47年6月までで、昭和47年2月のあさま山荘事件とそれに続く連合赤軍の大量リンチ殺人事件や、昭和45年3月のよど号ハイジャック事件、昭和47年5月の日本赤軍によるテルアビブ空港銃乱射事件など重大事件が続いた時代でした(ちなみに私は彼の長官任期中に生まれました)。
昭和45年5月に瀬戸内海の定期旅客船〈プリンス号〉を乗っ取り、40人以上を人質としたシージャック事件が発生しましたが、犯人に対して「撃て。射殺もやむなし」とゴーサインを出したのが後藤田でした。そして大阪府警からライフル射撃の元オリンピック選手を広島港へ運び、犯人が撃たれたシーンがテレビで全国に流されました。
また昭和47年のあさま山荘事件で、現場を指揮していた佐々淳行に「犯人は、必ず生け捕りにしろ」と命令を下したのも後藤田です。その結果警察側に犠牲者が出ましたが、犯人を生け捕りにして、大量リンチ事件を検挙できたのも事実です。
あまり公になりませんが、長官は絶大な権力をもっていることがこのエピソードからもわかります。
私は先述の『日本警察の解剖』を高校生のときに読んで、警察庁長官に絶対なってやる、という野心を抱きました。結局大学で勉強しなかったため、その夢はついえたわけですが。警察官僚になって親父をこき使ってやる、という野心もありました。
しかし警察官僚は先述のように休む暇のないタフな仕事です。虚弱体質の私にはどのみち無理だったな、と今は思います。


