2013年06月12日

『暗夜行路』志賀直哉(読書感想文例付き)

 『暗夜行路』は日本人なら誰でも知っている日本文学の金字塔です。私は読んだことがなかったので今更ながら手に取ってみました。
 読み始めてすぐに文章の仮名遣いが漱石とよく似ていることに気付きました。明治・大正の作家はみんなこんな書き方をするのかと思っていたら、本編を読後、あとがきを読むと志賀直哉と漱石はいくらかの交流があったようです。朝日新聞で漱石の『こころ』の連載が終わったら、志賀になにか書くよう漱石から打診があったが、結局何も書けなくて断ったというエピソードの記載があります(志賀は漱石のことを「夏目さん」と書いている)。
 また漱石の門下生では芥川龍之介が志賀を高く評価し、あるとき芥川が
「志賀さんの文章みたいなのは、書きたくても書けない。どうしたらああいう文章が書けるんでしょうね」
と師の漱石に訊ねると、
「文章を書こうと思わずに、思うまま書くからああいう風に書けるんだろう。俺もああいうのは書けない」
と漱石は答えたそうです。
(志賀は明治16年生まれ、昭和46年88歳で没、芥川は明治25年生まれ、昭和2年35歳で自殺)
 物語は人間の情欲をテーマにした三文ゴシップ的なもので、とっつきやすくなっています。私もさほど苦労なく読み通せました。志賀直哉自身の半分自伝的な私小説です。


【あらすじ】
 主人公の時任謙作は幼少時、祖父に引き取られて親や他の兄弟とは離れ離れになる。現在は祖父が死に謙作が大人になり、かつて祖父の妾であったお栄さんと2人で暮らしている(謙作もお栄も何歳かわからない)。謙作は友人と芸者遊びに出かけたのをきっかけにそれにはまってしまい、遊郭にまで通うようになる。しかしこうした生活に嫌気がさした謙作は、心機一転執筆活動に打ち込むため、尾道で独り暮らしを始める。尾道での日々の中でお栄さんと結婚する決意を固めた謙作は、信頼する兄信行とお栄さんにその旨を手紙で伝えるが、驚いた信行はお栄さんとの結婚をやめるよう返事を書き、その手紙の中で謙作は祖父と母の過ちの結果生まれたのだということを謙作に明かす。さらに謙作の決意が信行の不注意の結果父親に漏れてしまい、父親が激怒してお栄さんを謙作宅から出ていかそうとしたため、謙作は尾道での生活に疲れたこともあり、帰京する。
 後編に入り、謙作は京都で生活をはじめ、近くに仮住まいをしていた直子に見そめ、様々な経緯を経て結婚する。一方お栄さんは従姉妹と天津で商売をはじめるため謙作宅を出ていたが、泥棒に入られるなどして生活に困窮していたため謙作が朝鮮までお栄さんを迎えに行く。しかしその留守中に京都の謙作宅を直子の従兄弟の要が訪れ、直子と過ちを犯す。それを知った謙作は直子に過失はないため彼女を許すことにするが、彼は自分を制御できなくなり、直子につらく当たるようになる。そして彼は冷却期間をおき、自分の心を整理するため、大山の寺にこもることにする。

 志賀直哉は癇癪持ちで非常にわがままな人間だったそうで、そんな人間的側面が謙作に色濃く投影されています。
 それから本作を読んでいると、主人公がやたらと遊び呆けているのが目につきます。好きな時に旅行に行き、芸者遊びにはまる。謙作は小説家という設定ですが、一体いつ小説を書いているのか、どこからそんな金が出てくるのかと疑問に思います。本編のあと文庫の解説を読むと、志賀直哉の父親は明治大正の財界に地歩を築き巨富をなした人と記載があり、それで主人公は遊び呆けていられるのかと納得がいきます。これを読むと同時に妬ましさからくる嫌悪感に見舞われました。

 大金持ちの志賀先生のわがままさは執筆活動にもあらわれており、文庫の解説に以下のような記述があります。
「思うままに書く」志賀流は、見方を変えれば「極めて我儘な書き方」ということで、分かり易くとか、読者のためにとか、新聞雑誌の約束事にしたがってとか、その種の配慮を、直哉は生涯を通じてほとんど払っていない。外部から何かの制約が加わると、書けなくなるか、書いて失敗するかのどちらかであった。ある事柄に関し、これは説明を添えておかないともはや一般読者に通じにくいかもしれぬ、しかし説明すれば全体の調子が弱くなる、そういう場合、迷わず説明しない方を取った。それ故、『暗夜行路』の中にも、今では何のことか、研究家ですら分からなくなってしまった表現がいくつかある
 解説のこの個所を読んで「そうそう」と私は頷きました。誰が発言しているのかわからないセリフがあったり、指示代名詞が何を指しているのかわからないところがいくつかあったからです。要するに障害物レースでハードルをなぎ倒しながら前へ進むのが、志賀流小説作法なのでしょう。本作はおもしろいからまだいいですが、読者目線を忘れた作品は現代の出版社からは見向きもされません。

【作家志望者の視点からみた志賀作品】
 私は『暗夜行路』しか読んでませんが、志賀作品はほとんどが私小説だそうで、本作中でも謙作が自分の経験を作品にしようと企図している部分が何箇所かありました。
 現代の作家志望者が私小説を書いて新人賞に応募するとほとんど落とされます。出版社からすれば「そんな無名の人間の伝記で一般の読者から金がとれるか」ということらしいです。しかし作家の根拠のない荒唐無稽な物語より、しっかりとした経験に基づく私小説の方がおもしろい場合もあるはずです(もっとも作家自身が面白い経験をして、かつそれを覚えていることが大前提ですが)。私小説即没という今の新人賞の傾向はどうなのかな、と個人的には思います。
 しかし読者目線のない作家の自己満足的な小説は売れなくても仕方がありません。そういう意味では志賀作品は稀有の存在といえます。漱石も書きたいことを書いているような気もしますが、現代の作家は書きたいものより、読みたいものを書くことを要求されます。そんな観点からすると、漱石や志賀は古き良き時代の象徴なのかな、という気もします。読者目線でプロットを組むのはけっこう労力がいるのです(冷汗)。

【読書感想文例】
 『暗夜行路』は主人公が何度か見舞われる不幸にどう対処すべきか苦悩しながら、その中で己の生き方を模索していく物語です。
 また本のあとがきに作者が書いてある通り、主人公の時任謙作は作者自身がモデルであり、ほとんど自伝です。謙作がすぐに不快、不愉快になるのは志賀直哉自身がそうした性格的傾向をもっているんだな、と受け取れ、大変興味深かったです。
 まず謙作の最初の苦悩は彼が尾道にいるとき、兄から届いた手紙によってもたらされます。そこには謙作が実は父方の祖父と母の過ちによって生まれた子どもであることが記載されていました。当然謙作は大変なショックを受けます。そして父親が自分に冷たかったこと、自分だけ他の兄弟と離れて祖父に引き取られたこと、などの理由をはじめてはっきりと自覚します。しかしこの苦難は、東京で幼少のころから同居していたお栄さん、父親、兄の間で騒動が持ち上がり、その対応のため謙作が帰京するなかで、いつのまにか克服された形になっていました。もし私が謙作の立場だったら、立ち直ることのできない深い心の傷を負うでしょう。はじめから祖父と母の間にできた子どもであるとわかっていれば、精神的なダメージも少ないのでしょうが、謙作のように成人してから打ち明けられれば、自己のアイデンティティを喪失するほどの苦悩を抱えるはずです。
 そして後半になり謙作は直子と結婚するわけですが、謙作がお栄さんを迎えに朝鮮に行っている間に、今度は妻である直子が彼女の従兄弟と過ちを犯してしまいます。直子に非はなかったため謙作は直子を許しますが、頭では許していても心の底のわだかまりが消えるわけではありません。元々癇癪持ちの謙作は直子につらく当たってしまう自分を制御できなくなり、夫婦関係は崩壊寸前になります。
 私にとって印象的だったのは、直子の過失を知ったあと、謙作が友人の末松を訪れ、対話をするシーンです。末松は謙作の振る舞いがエゴイスティックであり、謙作の苦悩が他者との関連の中で生まれたものではなく、謙作自身の内面との葛藤にすぎないことを指摘され、謙作は「自身の内に住むものとの闘争で生涯を終わる。それ位なら生まれて来ない方がましだった」と悔恨します。私の中にも謙作と同じような性格的傾向があります。他者との関係を見失って、独り相撲をとっていることがよくあります。もっと人間関係をうまく築きたい、そういう願望を私自身もっているため、謙作のセリフはいたく心に染み込みました。
 このままでは夫婦関係が壊れてしまうと恐れた謙作は、自分の心、内面を見つめなおすため、単身大山の寺にこもります。そこで彼は竹さんという人の良い若者に出会います。しかし竹さんの妻は淫婦で、他に何人か間男がいて苦労するのですが、竹さんは妻と別れようとしません。謙作は彼のことが全く理解できませんでしたが、あるとき、竹さんの妻が痴情のもつれで間男に斬られ重傷を負ったという話を聞いたとき、竹さんのことを理解します。謙作は竹さんが妻の性質と悪い習慣を完全に知ることで、自分の感情を没却し、妻を許していたのだと気付きます。この二人、謙作と竹さんの対比はおもしろいと思いました。謙作は母と妻の過失をなかなか乗り越えられず、竹さんのような超人的な寛容さは自分にはとても持てないと考えます。しかしラストで生死の境をさまよっていた謙作が直子を柔らかい、愛情に満ちた眼差しで見つめることができたのは、やはり竹さんのエピソードが謙作の心に大きな影響を与えたからだと私は思います。人には許せることと許せないことがあり、竹さんのような超人的な寛容さを持つ人などいないのかもしれませんが、些細なことで家族や友人を傷つけないように、寛大な心を持つよう心掛けたいと思いました。
 ところで本編のテーマとは関係ありませんが、小説家である謙作はろくに仕事もせず、旅行をしたり、芸者遊びをしたりします。それが私には不思議でたまりませんでしたが、本編を読み終わって解説を読むと、志賀直哉の父は明治大正の財界に地歩を築き巨富をなした人≠ニ書いてありました。したがって志賀直哉本人は小説を書こうと書くまいと、金はいくらでもあったわけです。金に困らないボンボン、そう考えると謙作への感情移入が風に舞う木の葉のように飛んでいき、何か釈然としませんでした。

(原稿用紙5枚、91行、1780字)
posted by つばさ at 22:17| Comment(3) | TrackBack(0) | 書評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
TBありがとうございました。
志賀直哉は短編が美しいですよ。

私小説以外ではメルヘンチックな「菜の花と小娘」と
推理小説的な「范の犯罪」「剃刀」などがあげられます。
ハムレットのスピンオフ作品?「クローディアスの日記」などもありますよ。
Posted by 有沢翔治 at 2013年07月02日 17:58
有沢さん、ありがとうございます<(_ _)>
志賀直哉の短編がいいということは知りませんでした。推理小説が大好きなので、「范の犯罪」「剃刀」は読んでみようと思います(^O^)/
Posted by つばさ at 2013年07月02日 19:15
何回も失礼します。
補足ですが、志賀直哉にしろ武者小路実篤にしろ、私小説は<流行>したというよりも、商業出版ではありませんでした
『ホトトギス』にしろ『白樺』にしろ明治のほとんどが大学生による同人誌でした。
当時の大学は格も違い、華族や地主の出身が多いので、お金持ちでした。
志賀直哉が活躍した白樺なんてその典型ですしね。

リンク先は手持ちの短篇集です。
Posted by 有沢翔治 at 2013年07月02日 21:51
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