『「相対性理論」を楽しむ本』(佐藤勝彦監修、PHP文庫)を読んでみました。相対性理論は発表当時、理解できる人は世界に数人しかいないと言われるなど難しい話の代名詞のようになっていましたが、最近は本書のようにかみくだいて説明してくれるやさしい入門書が出ていますので、私のような素人でもある程度のアウトラインはつかめるようになっています。
本書に準じて難しい数式を使わず、言語による説明だけで相対論を概観したいと思います。ただ本書の内容すべてを紹介するのは無理なので、私がおもしろいと思った部分だけを抜粋しております。
【特殊相対性理論と一般相対性理論】
「特殊」と「一般」の区別、そんなものどうでもいいではないか、と思う方もいるかもしれません。しかしこの違いは非常に大きく重要です。
1905年に発表された「特殊」の方は、物体の運動・振る舞いを等速直線運動に限定しています。高校物理でいえば、床の上や空中を運動する物体の摩擦抵抗を無視したり、物体の大きさを質点とみなして考えないことにあたるでしょう。したがって数式も簡単で、概念も比較的わかりやすくなっています。
(ちなみに高校物理の力学では等速直線運動をする物体と静止している物体には本質的な差はないとみなします)
一方「特殊」から10年の歳月を経て発表された「一般」の方は、加速度運動をする物体を含めた相対論が直面するあらゆる物理現象の説明を試みています。したがって高等数学を駆使して話を進めなければならず、素人にはとても理解できるものではなく、本書でも過程・原理は省いて結果だけを記述しています。「特殊」の発表から「一般」の発表まで10年もかかったのは、一般相対性理論を説明するためにアインシュタインが高等数学を勉強する必要があったことも一つの要因とされています。
【この世で唯一絶対の基準である光】
相対論において唯一絶対なものは光だけです。光速が約30万km/秒というのは、暗記量の少ない高校物理でも必ず覚えなければならない必須事項です。
無限大と思われていた光の速度を、初めてある程度正確に測ることができたのは、デンマークの天文学者レーマーという人です。彼は木星の衛星イオが木星の影に隠れる「食」の時間が、地球と木星の距離によって変化するのは、光速が有限だからと考えて光速度を22万km/秒と計算しました。レーマーは17世紀後半の人で、どんな測定法を使ったのかわかりませんが、初めて光速度が有限であることを示し、その値を桁レベルで一致させたのは驚異と言うほかありません。17世紀後半は日本でいえば徳川綱吉の治世です。ろくな装置もないにもかかわらず偉大な業績を残した学者の話を聞くたびに、私は彼らに畏怖の念を抱かざるをえません。彼らはどんな頭の構造をしていたのだろうかと考えると、面食らうばかりで、人間の知性にあらためて感嘆します。
話が逸れましたが、高校物理では「速度合成の法則」を学習します。速度60km/時同士の車がすれちがうと、車に乗っている人からみたら対向車のスピードは120km/時に見えるというよく知られたものです。しかし光には「速度合成の法則」が適用できません。観測者が動いていても止まっていても、光速は常に30万km/秒に見えるのです。
光の速度についてはマイケルソンとモーレーの実験が有名です。彼らは1887年地球の東西方向と南北方向とで光の速度の差を計測しようとしました。地球は30km/秒で太陽のまわりを公転しています。「速度合成の法則」にしたがえば、公転の向きである東西方向に進む光は、公転方向と垂直である南北方向に進む光に比べて、公転速度の分だけ速度が違ってみえるはずなのです。ところが結果は東西、南北両方向とも光の速度は寸分たがわず同じでした。
この光速度の謎は当時の物理学者の頭を大いに悩ませましたが、この謎を解決したのがアインシュタインです。彼は光速を時間との相関関係で考えることで、問題解決の糸口を見出したのです。
【遅れる時間】
「時間とは絶対的な尺度ではなく、相対的なものである」これも相対論を理解する上で欠かせない概念です。
高校物理で「速度合成の法則」を学習する際、よく一定の速度(加速をしていない)で走る電車の車両の中央から前後同時に同じ速度でボールを投げるという事例が引用されると思います。車内の観測者からも、地上で止まっている観測者からも車両中央から投げたボールは前後のドアに同時にぶつかるように見えます。
車内の観測者から見ると、ボールは同じ速度で車両の半分の距離を進むので、2つのボールは前後のドアに同時にぶつかります。一方地上の観測者から見ると、前に投げたボールは〔車両の半分の長さ+電車が進んだ距離〕を〔ボールの速度+電車の速度〕で進み、後ろに投げたボールは〔車両の半分の長さ−電車が進んだ距離〕を〔ボールの速度−電車の速度〕で進み、やはりボールは前後のドアに同時にぶつかります。
ところが光の場合は話が違ってきます。ボールの場合と全く同じ条件で、ボールの代わりに光源を車両中央に置くと、車内の観測者からは光が前後のドアに同時に届くように見えますが、地上の観測者から見ると、光は距離の短い後ろのドアに先に届くのです。この現象を「同時刻の相対性」といいます。
なぜこのようなことが起こるのか?私たちは時間が絶対的なもので、同時刻に存在する二者の間の時間がずれるということはありえないと考えています。しかしアインシュタインは違いました。光の速度は誰が見ても同じであり、これが動かせないのなら「時間が唯一絶対なものである」という考えを捨ててみようと考えました。これがアインシュタインの革命的な発想だったのです。
そして時間は相対的なものであるということに気づいたアインシュタインは、動いている物体の中の時間は遅れる、ということを証明しました。
この式をみてわかるとおり、ルートの中の括弧の中の分母が光速であるため、動く物体の速度が相当大きくないと、時間の遅れを実感することはできません。
○ 20km/秒で動く宇宙ロケット:地球上の1秒が、約0.999999998秒になる。したがって16年に1秒しか遅れない。
○ 光速の半分で動く物体:地球上の1秒が、0.87秒になる。
○ 光速の9割で動く物体:地球上の1秒が、0.44秒になる。
ニュートリノの1つにミューオン(ミュー粒子)という物質があります。ミューオンはほぼ光速と同じ速度で宇宙から地上に無数に降り注いでいますが、非常に壊れやすい物質で1/100万秒というわずかな時間で1/3の量が壊れ、次の1/100万秒でまた残りの1/3が壊れてしまうことを繰り返します。
したがって仮にミューオンが光速で走ったとしても、約500メートル進む間に半分に減ってしまい、大気の厚さは数十キロメートルあるのでそのほとんどが途中で壊れてしまい、地上にたどりつく確率は1/10億というほとんどありえない数字になってしまいます。
ところが実際にはミューオンは地上でかなりの量が観測されています。これはミューオンが光速度近くで運動しているために、ミューオンの時間の進み方が遅くなっている、つまり寿命が延びていることが原因です。
実際の観測によっても、時間の遅れの現象が確認されているのです。
またおもしろかったのが、物理的な議論から離れると前置きをした上で、「心理的な時間の長短」は実在するという話でした。人間が楽しい時間は短く感じ、つらい時間は長く感じるというのは、実は単なる錯覚ではなく実際に時間が短くなったり、長くなったりしているのだが、この世に心理的な時間を計測できる時計がないからわからないだけだ、という説があるそうです。「時間は絶対的なものではなく相対的なもの」と思考の転換をしてみれば、もしかするとそんなことがあるかもしれないという気がします。
【物質はエネルギーのかたまり、E=mc2】
「光の速度を超えるものはない」とよく聞きますが、それは物体が光速に近づけば近づくほど、物体の質量が無限に増えていくからです。
たとえば9.8m/秒という重力加速度と同じ加速度で進む宇宙ロケットを考えてみます。燃料は無限に積載できるとして、1年後のロケットの速度を計算すると
9.8m/秒×60秒×60分×24時間×365日=約30万km/秒
となり、さらに加速をすれば計算上は光速を超えるはずです。
(まったくの余談ですが、本書に出ていたこのロケットの速度の計算は私にはとても不思議に思えました。重力加速度で1年間加速をするとほぼ光速になる・・・まったくの偶然でしょうか?もちろんこの速度と光速は近似しているというだけで、細かい正確な数字まではわかりません。しかし何か既知の数学的・物理学的な意味があるのか、あるいは単なる偶然なのか、門外漢の私は気になっています)
ここで以下に動いている物体の質量の式を掲示します。
ロケットの元々の質量を1トンとしてこの式に当てはめると、速度が光速の90%になったとき質量は約2.3トン、光速の99%になると約7トン、光速の99.9%では約22トンと質量は指数関数的に増加していきます。
「動いている時の質量の式」をみるとわかるように、「動いている速度」が光速になると分母が0になり、動くものの質量は無限大となります。質量が無限大の物質などありえないので、光速を超えるものはないという結論になるのです。
(また余談になりますが、私は以前に物体が光速を超えた速度で運動すると、時間軸をさかのぼって過去に行くという話を聞いたことがあります。「動いている時の質量の式」で「動いている速度」を光速以上にすると虚数が出てきます。したがって時間軸は複素数と大きな関係があるのかな、と素人ながら思いました。ちなみに電子は複素数の場で記述されるなど、素粒子物理学ではあたりまえのように複素数が使われています)
ではなぜ光は光の速度で動けるのか?・・・質量がゼロだからだそうです。
本書には記述がありませんが、2011年「OPERA」という国際研究チームが「ニュートリノの運動速度は光速より速い」という実験結果を発表して世界を仰天させました。ニュートリノは質量をもつので、この実験結果がもつ意味はあまりに大きかったのです。結局「測定機器に不具合があった」と実験結果は撤回されましたが、私はそろそろ相対性理論を書きかえるような新しい理論が登場してもいいのではないか、と期待しています。
先述のロケットが速度を増すほど質量が増えていくという事実は、言い方を換えればロケットの推進エネルギーがスピードを増やさず、質量を増やしたということにもなります。つまり「エネルギーが消滅し、代わって質量が生み出される」ということです。ここにいたって以下の有名な公式が登場します。
この公式の意味するところは、モノ(物質)とは、光速の2乗に質量をかけた分のエネルギーが姿を変えた存在だということです。光速の2乗は900億という巨大な数字です。ということはわずかな質量の物質の中にも莫大なエネルギーが秘められているということになります。
しかし相対性理論が発表された当時、この公式の重大性は認識されていても、エネルギーを取り出すために物質に与えなければならないエネルギーそのものが莫大だったため、実用化は不可能と思われていました。
ところが1938年ドイツの化学者ハーンとオーストリアの物理学者マイトナーが、ウランの原子核に中性子をあてると原子核分裂が起こり、その際に質量がわずかに減り、同時に大量のエネルギーが放出されることを発見しました。さらにイタリアの物理学者フェルミは、ウランの原子核分裂の際に、エネルギーと同時に多くの中性子が生み出され、その中性子が他のウラン原子核にあたって、また核分裂を引き起こすという連鎖反応が起こることを示しました。つまり核分裂を倍々ゲームのように連続して起こすことで、瞬間的にすさまじい量のエネルギーを解放することが可能になるのです。
この研究結果がのちの原子力エネルギーの実用化につながっていきます。
(余談)広島に投下された原子爆弾にはウランが60kg搭載されていました。しかし実際に核分裂反応を起こしたのは約1kgだったと推定されています。1kgの物質のもつエネルギーは
E=mc2=1.0×(3.0×108)2=9.0×1016(J)
1016というのは日本の単位でいうと「兆」の次の「京」にあたります。たった1kgのウランがこれだけ莫大なエネルギーを持ち、広島を死の街にしてしまったのです。身の毛がよだつ思いがします。
【最後に】
今回紹介したのは「特殊相対理論」の内容のみです。一般相対性理論の中ではブラックホールの話がおもしろかったですが、如何せん入門書ですから、説明が大雑把で頭に残りにくかったです。今度はもう少し高度な本を読んでブラックホールをご紹介できたらいいな、と思っています。