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2013年08月06日

夏目漱石『三四郎』――読書感想文例

 漱石の初期の作品である『三四郎』は後期の『行人』や『こころ』とはかなりテイストが違いますが、私のお気に入りの一冊です。読むのは4、5回目ですが、読むたびに違った印象を受けるのが不思議です。読者が自己の主観をとことん駆使する作品です。
【あらすじ】
 小川三四郎は熊本の高等学校を卒業後、大学に進むため汽車で東京に向かった。同郷の先輩である理科大学の野々宮と会ったあと、大学の池のほとりでたたずんでいると、美しい女性が岡の上に現れる。その女は三四郎の前に白い花を落として立ち去っていく。三四郎はその女に一目ぼれをする。
 一方で大学の授業がはじまり学生生活を送る中で、与次郎、広田先生などと出会い、三四郎は自分の生活の中で一つの世界が形成されていくのを感じる。それは九州にいるときのものとは全く異質のものであった。
 そして広田先生の引越しの手伝いに行ったとき、池のほとりで出会った女と運命的な再会する。彼女は里見美禰子という名前だった。そのあと、三四郎は広田先生、野々宮兄妹、美禰子と菊人形の見物に行く。その途中美禰子が体調を崩し、三四郎と小川のほとりで休む。そのとき美禰子は「Stray Sheep」という言葉を繰り返し、それが三四郎の脳裏に刻み込まれる。
 そして与次郎に金を貸した三四郎だが(与次郎は広田先生の金を競馬ですっている)、与次郎が返さず、代わりに美禰子から三四郎が金を借りることができるよう与次郎が算段したため、三四郎は美禰子宅を訪れる。しかし人の機嫌をとれない三四郎は美禰子の好意に対して「借りてもいいし、借りなくてもいい」と態度をはっきりさせない。美禰子は銀行に三四郎を連れて行って強引に金を渡し、そのまま美術展覧会に二人で行く。そこで画家の原口と野々宮に遭遇し、二人を見た美禰子は何かをこれ見よがしに三四郎に耳打ちする(三四郎は野々宮を美禰子についてのライバルだと思っている)。二人が建物を出た後、三四郎は美禰子に「野々宮さんを愚弄したのか」と聞くが、結局美禰子が何を言ったかはわからないままである。
 三四郎は美禰子に借りた金を返すため、原口宅を訪れる。美禰子は原口の肖像画のモデルとして原口宅にいた。その帰り道に三四郎は「何しに来たのか」という美禰子の問いに「ただあなたに会いに行った」と思い切って告白する。しかしそのさなかに見知らぬ若い好青年が美禰子を迎えに来て、連れ去ってしまう。その男は美禰子の婚約者であると後でわかる。そしてこのとき三四郎は金を返しそびれる。
 一方で三四郎は与次郎と一緒に広田先生を大学教授にするための運動に参加していたが、失敗し、逆に新聞で先生の悪口を書かれてしまう。与次郎が書いた「偉大なる暗闇」という広田先生賛辞の論文が三四郎の書いたものと新聞で書かれた都合もあり、彼は一応謝罪のため広田先生を訪れる。そのとき広田先生は夢で見た女の子の話をする。
 最後金を返すため美禰子がいる教会を訪れた時、美禰子は三四郎に「われは我が咎を知る。我が罪は常に我が前にあり」という聖書の言葉を残した。

【読書感想文例】

 『三四郎』は大学に進むため九州から東京に出た青年が、里見美禰子という美しい女性に恋をし、その恋に翻弄されながら学生生活を送るユーモアあふれる青春物語です。
 本作において主人公の三四郎は、美禰子、佐々木与次郎、広田先生、野々宮さんとその妹のよし子など限られたコミュニティの中で生活をするわけですが、この登場人物たちのキャラクターがそれぞれ独特の魅力を持っているので、むしろこの小さなコミュニティが非常に奥深いものに感じられます。
 私は中でも特に広田先生がおもしろくて好きです。三四郎と美禰子の世界はあまりに幻想的で、散文的な感性しかない私には少々難しく感じましたが、広田先生は鷹揚で些事にとらわれず、彼独特の思想・人生観を巧みなユーモアを交えて披露するので、大いに勉強になりました。
 そして本作のメインテーマは三四郎と美禰子の恋愛にあるわけですが、現代の小説のように登場人物の心情について具体的な記述がなく、その行間から二人の心の機微を読み取らなければなりません。つまり二人の言動についての判断は大いに読者の主観に委ねられているのです。したがって読み手によって多種多様な解釈が生まれることになり、この点に私は戸惑ってしまいました。
 私は三四郎と美禰子、二人の心模様を次のように自分なりに考えてみました。
 三四郎については物語を通じて終始受け身の態度をとるので、美禰子に対しても積極的な行動をとることができません。なおかつ田舎的な男尊女卑の考え方から抜け出すことができず、自分の気持ちに正直になることができません。菊人形を見に行き、小川のほとりで二人っきりになったとき、そして美禰子の家に金を借りに行き、美術館に入ったとき、美禰子は明らかに三四郎に好意を見せていますが、三四郎は何もすることができません。三四郎は自分から相手の機嫌をとることができない、と本文に記述がありますが、学問に自分の拠り所を置いた結果、一般的な人間関係を円滑にこなすことができない人間なのではないかと私は思いました。それは冒頭の汽車で乗り合わせた女性にしどろもどろの対応をするところからも読み取れるような気がします。
 一方美禰子のほうですが、こちらはやや難しく私にも理解しがたい部分がありました。前述の菊人形を見に行き、小川のほとりで二人っきりになったとき、そして自分の家に三四郎が金を借りに来て、美術館に入ったとき、明らかに彼女は三四郎に科を作っています。そして原口さんから肖像画のモデルになってほしいと依頼されたとき、わざわざ三四郎と初めて出会った大学の池のほとりでのシチュエーションで描くよう注文します。しかしなぜか他の男と婚約してしまいます。この行動は多くの読者が煙に巻かれたような気がするでしょう。
 広田先生と与次郎は美禰子のことを「あの女は乱暴だ」「イブセンの女のようなところがある」と評するところがあります。「イブセンの女」とは文庫の注釈を読むと、イブセンという作家が書く女性のことで、「例えば『人形の家』のノラは自我に目覚め、女である前に人間であることを求め、家も夫も愛児も捨てて家出をする」とあります。つまり美禰子は明治の家に縛り付けられた女性ではなく、きわめて現代的な自立した女性を志向していたといえると思います。時代を先取りした女性であったため、「乱暴」と評され、また自身も三四郎にあっさりと見切りをつけることができたのではないか、と私は考えます。
 また物語の終盤の広田先生の夢の話を読んだとき、私は美禰子という女性について考えたことがあります。広田先生はこんなことを言います。
 (夢に出てきた二十年前に出会った十二、三歳の女の子に対して)僕がその女に、あなたは少しも変わらないというと、その女は僕に大変年を御取りなすったと云う。次に僕が、あなたはどうして、そう変わらずにいるのかと聞くと、この顔、この服装の月、この髪の日が一番好きだから、こうしていると云う。それは何時の事かと聞くと、二十年前あなたに御目にかかった時だという
 私はこの部分を読んで、実は美禰子は三四郎が好きだからではなく、三四郎が惚れた瞬間の自分が好きだから、初めて彼に出会ったシチュエーションで絵を描くよう望んだのではないか、と少しひねくれた解釈をしてみました。
 とかく解釈の難しい作品ではありますが、一方で美しい文体、ユーモラスなセリフなど、文豪の魅力を堪能できる一冊でもありました。
(原稿用紙5枚、96行、1827字)
 
【その他所感】
 『三四郎』は漱石の後期の作品と比べて全般的に明るいのですが、登場人物(とくに美禰子)の言動に明確な説明をせず放置している部分があるので、読む側はやや難解に感じるのではないかと思います。それは美術展覧会で野々宮を見た美禰子が意味不明な耳打ちを三四郎にしたり、三四郎が美禰子を教会に訪れた時、美禰子が「われは我が咎を知る。我が罪は常に我が前にあり」と言ったりする場面です。私は新潮文庫版と角川文庫版のなぜか2冊を手元に持っていますが、両方の解説を読んでも合点がいきません。
 新潮文庫版の解説に漱石が『草枕』について論じたこんな一文が紹介されています。
 私の『草枕』は、この世間普通にいふ小説とは全く反対の意味で書いたのである。唯一の感じ――美しい感じが読者の頭に残りさへすればよい。それ以外に何も特別な目的があるのではない。さればこそ、プロットも無ければ、事件の発展もない
 私個人が思うに、漱石自身はこの『三四郎』も『草枕』同様に登場人物の言動について何か特別な意味・目的をもたせたのではなくて、美しい感じが残ればいいと考えていたのではないでしょうか。そうでなければ不可解な部分があまり多すぎます。耳打ちのシーン、教会での一幕、その他すべての場面において、あるがままに物語を受け入れることが漱石の意図に一番近いような気がします。 

 また物語の冒頭で三四郎が名古屋で一泊する時、汽車に同乗していた女性に不安だから一緒の宿に泊まってくれ、と言われます。この女性は風呂にも一緒に入ってくるし、三四郎と同じ布団に平気で寝ます。この男にとってのビッグチャンスを三四郎はみすみす取り逃がし、挙句の果てに「あなたは余っ程度胸のない方ですね」と言われてしまいます。
 漱石はこのくだりを冗談の一部として取り入れているのでしょうが、度胸がない上にいつまでもこのことを根に持つ三四郎はいただけないと思いました。くよくよした挙句、自分が将来偉い学者になることを空想して、自己の欠点を慰謝しているところなどは、非常にたちの悪い自慰行為です。あまり冗談として笑えないシーンでした。
 また三四郎に与次郎が広田先生のことを説明するシーンで与次郎が「万事頭の方が事実よりも発達しているんだからああなるんだね」と広田先生を評します。何もしないのに頭がいいから理屈を並べるのはうまい、そういった人たちが『こころ』の先生であったり、『それから』の永井代助であったり、ちょっと毛色が変わりますが『彼岸過迄』の須永であったりと、漱石の作品では次々と登場します。したがっておそらく漱石もこのような人たちと同種の人間ではなかったのかな、と推測されます。
 この「万事頭の方が事実よりも発達している」というのは実は結構恐ろしいと思います。というのは漱石の作品を読んでいると、登場人物の妄想がそのまま事実になっていることが非常に多いからです。私たちは社会生活を送るなかで、自分が抱いた妄想が事実によって荒唐無稽なものであったことを思い知らされることを積み重ね、妄想は間違っていることが多いことを学んでいきます。ところが漱石は自分の妄想・想念が間違っているとは思っていません。だから登場人物の思い込みが、物語の中でそのまま事実になってしまっていることが多いのです。「妄想が間違っている」という事実は、妄想を抱いた相手や関係者との会話の中で打ち破られます。「あの人は自分のことを嫌っている」という妄想は、その人と話をしてみると、実は何とも思われていなかったという事実でかき消されます。しかし漱石は違うように思います。おそらく妄想をかき消すためのコミュニケーションを周囲の人と取ろうとしなかったのでしょう。その結果「妄想が事実になる」という苦しい心理状態に陥り、晩年の『行人』や『こころ』が生まれたのは興味深いと私は考えています。まあこれはあくまで私個人の単なる私見にすぎませんが。頭がいい人ほど人とコミュニケーションをとらなくなるか、あるいは人の話を馬鹿にして真に受けなくなるのだと思います。よく言われることですが、漱石は作品とともにその人物そのものも興味深い、おもしろいと思います。

 また話はかわりますが、漱石初期の作品には絶妙の言い回し、文章表現が多々あります。『三四郎』の中でもいくつかありました。ひとつ例を挙げると
上から桜の葉が時々落ちて来る。その一つが籃(バスケット)の蓋の上に乗った。乗ったと思ううちに吹かれて行った。風が女を包んだ。女は秋の中に立っている(広田先生の引越し先で三四郎が一人待っているところへ美禰子があらわれたとき)
 ため息がでるような文章です。私などにはとても書けるものではありません。 
posted by つばさ at 22:26| Comment(2) | TrackBack(0) | 書評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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